「アンナ まなざしの向こうに」

このエピソードを上手く使えば...


  

天皇誕生日。お休みなのは素直に嬉しい。だけど、何も12月のこの時期になぁ。「もっと別の日に生まれてくれればいいのに!」ついついこう愚痴りたくなる人も少なくないだろう...。まぁ、それでもボクはきっちりお休みして、十三へ足を運ぶ。七藝でモーニング公開されているドイツの映画「アンナ まなざしの向こうに」を観る。

これが、どうも暗い。救いようが無いわけではなく、最後には光が射すから良しとしよう。でも、冷静になって考えてみると、アンナは母親の死がそんなには「悲しくなかった」のだろうか? ふとそんなことを思った。でも、アンナは微妙なかわいさを持っていて、時折、はっとするほど美しい! だからOK?!

1960年代のお話し。
アンナはもうすぐ中学へ上がる。まだ幼い弟と母親との三人暮らし。父親は死んだと聞かされていた。
母親は仕事をするよりも、昼間から盛り場で一杯あおってる方が好き。だから生活は苦しい。母親のダメダメ振りはなかなか上手く描かれてるねぇ。
ところが、アンナは父親がフランスのどこかで生きていることを知る。もちろん逢いたいと思う。そして父親へ手紙を書く。

このお話しの面白くないところは、駄目な母親としっかり者の娘の対比に力点が置かれているわけでもなく、父と母が何故別れてしまったのかという謎解きが語られるわけでもなく、父親と再会することが出来るのかという謎に迫ることもない。「このエピソードを上手く使えば...」というポイントをことごとく外してしまい、平板にだらだらと展開するところだと思う。
ひょっとしたら、ドイツでは誰でも知っているような「前提条件」があり、それをボクたちは知らないだけなのかもしれない(とさえ思ってしまう)。
魅力的な挿話はたくさんあるのになぁ。

池のほとりに産み捨てられたカエルの卵が、勝手に孵化しておたまじゃくしになり、やがて小さいカエルに育っていくように、アンナも勝手に育っていくと言いたかったのでしょうか?
それとも「カエルの子はカエル」ということを暗示しているのでしょうか?

そんなに期待もしていなかったけど、内容もそんなものでした。よっぽどおひまならどうぞ。
きっと年明けからもしばらくは上映しているハズです(1/9まで)。

おしまい。