あの空にも悲しみが。

イユンボック 評言社 482820508X



  

少しの間使っていなかったカバンを開けると、新聞の切抜きが出てきた。
韓国で出版されたお話しの翻訳本が紹介されていた記事だった。なんと、この記事のことも、この本のことも、切り抜いていたこともすっかり忘れていた。
梅田の紀伊國屋さんで探すと、昨年の夏に出た本だったけれど、運良く棚に一冊ささっていた。

一言で表現すると“暗く、切ないお話し”。

大邱(テグ)に住むユンボギは小学生。まだ学校に上がる前にお母さんは幼い妹と弟を残して家出してしまい、木工所を営んでいた父は事業に失敗したうえに、今は身体をこわして寝込んでいる。だからユンボギは、夜な夜な喫茶店をまわってガムを売って一家を支えている。
そんなユンボギがしたためた日記がこの本になっている。

この日記には大人の考えはない。 あるのは、どうしてお母さんはボクたち4人の子供を残して家を出てしまったのかという思いと、どうしてガムを売ってまでその日のうどんを買うしかないほど自分が貧しいのかという思いが、ひしひしとなおかつ率直に綴られている。ある程度年を経るとここまで素直に思いを書くことは出来ないものだと思う。
自分が置かれた不幸をある意味素直に受け止め、一方、悩み、苦しむ。

その日稼がなければ何も食べられない。自分の空腹は我慢したり、騙したりできるけれど、幼い弟や妹、それに父親はユンボギが買って帰る食べ物を待っている。もし、稼ぎがなければ、空き缶を片手に家々を回り「おもらい」をして施しを受けなければならないなんて。
温かいクラスメートや先生に恵まれているものの、それだけでは根本的な解決にはならない。相変わらず、家計は苦しく、母は帰っては来ないのだ。

そんな中でも学校に通い、勉強をする。
当たり前のようにも思えることが、当たり前ではない。
如何に恵まれているのか。幸せな境遇で育ったのだろう。
誰もがユンボギのような生活や境遇を経験するべきと言うのではなく、今の自分に対して幸せを噛みしめたり、両親や社会に感謝するいい機会にして欲しいなと思った。
今は、日本でも韓国でも今夜のご飯にありつけないことはあまりないだろう。でも、地球上にはユンボギと似たような境遇で寒さに震えている兄弟はきっといる。しかも大勢。そんな兄弟たちに自分が出来ることを考えてみるのも必要だと思う。
しかし、ひょっとしたら、今の日本の子供たちにはこのユンボギの気持ちを理解できないかもしれない。それは凄いことである反面、実は恐ろしいことかもしれない...。

チャンスがあれば、是非!

おしまい。