「ソウル〜丹東〜瀋陽(2000年7月)」

仁川〜丹東を「東方明珠」号で旅する


その5・丹東から瀋陽へ

  

林さんとボクを載せたタクシーはぶんぶん走る。タクシーは古いダイハツのシャレードの4ドア。走る、走る。
丹東の道は思っていたよりいい。林さんは無事入国できて機嫌がいいのか、ボクに気を使っているのか、いろいろ話し掛けては、くだらないジョークを飛ばしている。中国人はこれだから嫌なんだ、なんて意味の事を盛んに喋る。ビザの件で林さんのプライドが大分傷つけられたみたい。

道路の両側に広がる風景は、30年ほど前の日本の風景。見渡す限りの田んぼ。どれもがまだ穂が出ていない稲で風にゆさゆさとそよいでいる。道を通るのは耕運機にひっぱられた台車か、ロバが引く荷車だ。
ところどころに家が建っていて、煙突からは練炭でも燃やしているのか、黒い煙がたなびいている、ほんとに牧歌的な風景。

30分は走っただろうか、ようやく周囲が街らしくなってきた。
これなら、駅に行って切符を買って、そして事務所に行って両替しても十分間に合いそう。ほっとする。
丹東は小さい田舎の街だと思っていたけど、どうしてどうして、結構大きい街だ。それにちょうど勤め帰りの時間にあたったのか、人通りも多い、クルマは少ないけど。
メインストリートには乗客を満載した二両連結のバスも走っている。
ほどなく丹東駅に到着。びっくりするぐらい立派で大きい駅舎だ。考えてみたら、北朝鮮との国境の街、陸路の玄関やもんな。

林さんが希望していた「Soft bed」は取れなかったけど「Hard bed」の切符が2枚取れた。拍子抜けするほどあっけなく。
その後、ホテルの一室にある事務所に行き、両替。これで、この国で生きていける。事務所では彼が社長さんなんだと改めて認識させられた。部下の人がボクの予約している瀋陽のホテルに電話を入れてくれ、チェックインする時間が予定より遅れる旨を連絡してくれた。ここで、ほっと一息。

事務所を後にして駅に戻ると、発車時刻までそんなに時間は無い。林さんと二人して走って改札を通り、指定されたホームへ行く。列車はすでに入線してボクたちを待っていた。ボクたちの車両は3号車。二人とも上段の寝台だ。10番と12番だから同じコンパートメントじゃない。荷物を上げようとしたら、11番の人が「俺も瀋陽までだから代わってあげよう」と言ってくれた。親切な中国人に会うこともあるんやな。
一旦ホームに降りて3本ビールを買う。ボクの分と林さんの分と親切な11番のおじさんの分。現地のお金をちゃんと持っているというのはこんなにも楽な気分なのか。

からからにのどが干上がっていたボクは、11番のおじさんが器用に開けてくれたビンビール(しかも、冷えている!)を待ちきれずに一番先に口をつけてしまう。
生き返った。今日の苦労(?)も吹き飛んだ!
やがて、列車は騒々しく発車。手前のコンパートメントは誰も乗っていない。中国の列車で、硬座や硬臥は満員なのが当たり前だと思っていただけに、ちょと驚いた。でも、これぐらい空いてないと発車1時間前に切符が取れるわけが無いか。
3人でしばらく英語と中国語と筆談とちゃんぽんで話をする。11番さんは電気技師。出張で丹東に来ていて、瀋陽の自宅へ帰るところらしい。高学歴らしく英語が上手い。
瀋陽にいる間に自宅に飯を食いに来いと誘ってくれた。
話が盛り上がっているうちにあたりはすっかり夜になった。中国の列車は基本的に自然のままだ。蛍光灯はついているが明かりが灯っているのを見たことが無い。従って、車内にも静かに夜の帳が下りていく。
各々の寝台に戻る。ボクは今日、一体何時間寝たんだろう。船の中でも相当寝たしな、なんて考えていたら、中国の薄いビールが効いてきたのと、今日中に瀋陽に着けるという安堵感からか瞬く間に眠りに落ちてしまった。

丹東から瀋陽までは約5時間。中国の列車の速度は恐ろしく遅い。両都市間の直線距離は280キロ程度だから、この特快の平均時速は60キロ弱。この数字はかなり優秀。
瀋陽に着く少し前に車掌が起こしにくる。眠りこけているボクの足首をムズっと握って揺するという、今までに経験したことがない起こし方だ。ボクはビクッとして飛び起きる。でも、まだ眠い。薄暗い車内で手早く荷物をまとめ、トイレを済ませる。林さんも11番さんももう起きている。

漆黒の闇の中を走っていた列車が瀋陽の街に近づいている。遠くに明かりが見え始め、やがて、ビルの明かりや電光式の広告塔が見えてくる。
速度を落とし始めた列車からは、線路沿いにある家の中の様子を盗み見することが出来る。部屋の中には電球の明かりが灯り、ランニングシャツを着た男がベッドに寝そべって白黒テレビを見ている。彼にとってはこの時間にこの列車が部屋の外を通るのは毎晩のことで、通過する列車に乗るボク達の目を気にしてカーテンを引くことも無い。ボクにしてみても、この男の姿を二度と見ることも無いだろうし、汽車から降りて線路沿いにあるこの家を訪ねることは一生ないだろう。

騒々しいブレーキ音をたてて汽車は瀋陽駅のホームに停まる。
普通、駅のホームっていうのは、どんな田舎の駅でも明かりが点いて旅人をほっとさせるものだけど、人口600万人を抱える中国東北部最大の都市・瀋陽の玄関口「瀋陽駅」のホームが真っ暗だとは思いもよらなかった。真っ暗なホームはなんか異様なムード。
ボクたち3人以外にも10数名の乗客がこの駅で列車から降り立った。出迎えの姿も無く、蒸し暑いホームをみんな無言で荷物を下げて歩いている。ホームの中ほどには改札に向かう弧線橋がかかっていて、この橋を通って改札に向かう。でも、この屋根つきの弧線橋にも明かりは無い。異様なムードを通り越して「恐怖感」さえ覚える。
どこから入り込んだのか、駅も黙認しているのか、この弧線橋にはタクシーの運転手が待ち構えて、盛んに声を掛けてくる。最初は訳が判らなくて、飛び上がるほどびっくりした。11番さんが運転手に何か言い返して、まとわりつく運ちゃんたちの相手にせず歩いていく。
中国の列車は車内検札がしっかりしているので、駅の改札はそんなに厳しくない。深夜に着くこの列車の乗客は全員フリーパスで駅舎から外に出た。駅には待合室など、今から列車に乗る乗客へ向けてのサービスは多少(!?)あるが、列車で駅に到着した者へのサービスは全く無い。降車客用の改札口は大抵立派な駅舎から少し離れたところにみすぼらしい鉄のゲートがあるだけだ。
駅の外に出るとそこにもタクシーの運転手がたむろしている。11番さんが「こっちに付いてこい」っと手招きする。林さんもボクも素直に従う。駅前の広場が終わったところまで歩いていき、ここの交差点で信号待ちをしていたタクシーの運転者と交渉を始める。
どうやら、20元でボクのホテル、林さんの家を経由して11番さんの自宅へ向かうことで運ちゃんと合意した模様だ。11番さんが手招きをしてこのタクシーに乗れと指示してくれる。

ほどなく、ホテルへ。林さんと11番さんはタクシーを降りてボクと握手をしてくれた。
「再見!」
この二人がいなければ、無事にここに着けたかどうかわからない。二人にはどんなに感謝していることか。タクシー代と言って林さんに紙幣を渡すが、受け取ってもらえない。11番さんもしかり。仕方ないから、運ちゃんに20元渡す。
「二人ともここで食事でもしないか?」と誘うのだけど、「もう遅いから」と言ってタクシーに乗り込んでしまう。林さんは「瀋陽にいる間に困ったことがあれば電話してね」と念を押してくれる。彼にとってボクはどこまでも頼りないオニイチャンに見えてるんやろうなぁ。
もう一度、二人と握手をするとタクシーは走り去ってしまった。
ほんとにお世話になりました。