「ソウル〜丹東〜瀋陽(2000年7月)」

仁川〜丹東を「東方明珠」号で旅する


その3・東方明珠号

  

思っていたよりもいい船室。窓はないけど、デスクもテレビもシャワーもトイレもついている(歯ブラシやタオル、スリッパも)。この部屋を一人で使えるのなら快適なんだろうけど、定員2名でもちろん相部屋。それでも、雑魚寝の2等船室に比べたらずっといい。天国だ。

相部屋の相手は林さん(仮名)という韓国人。ボクと同い年ぐらいかなぁ、背は高くてビジネスマン風だ。
でも、話をしてみると、大学を出てから2年目で、まだ26歳。イギリスに1年間留学していたと言うから英語も達者。ただ、日本語は駄目。今は、このフェリーを運航している会社が中国に作った現地法人の、なんと「社長」さんらしい。
この若さで!

この林さんの登場でどれだけ助けられたか。林さんのおかげで無事瀋陽に着けたようなもんです。
でも、最初はあんまり話をしなかった。ボクはもう疲れ果てていて、シャワーを浴びてからすぐ眠り込んでしまったからだ。エンジンの心地よい振動を感じながら目を閉じると、それこそあっという間に「おやすみなさい」。
林さんに起こされたのは「食事の用意ができたみたいですよ」と声を掛けてくれたから。2時間ぐらいは寝たのかな。
食堂に行くと、メニューは一種類で、食券を買い、トレイを持って並ぶとトレイに料理が入った食器を置いていってくれる。和洋折衷ならぬ「韓中折衷」もちろんキムチ付。

乗船した時には気がつかなかったが、食堂で他のお客さんを観察するとほとんどの乗客が韓国人(あるいは、朝鮮族の中国人)のようで、飛び交っている会話は全部ハングル。もっと中国人が多いのかと思っていたのだけどなぁ。
船内で使える貨幣は韓国のウォンのみ、USドルも日本円ももちろん中国の元も使えません。夕食は8,000ウォンだから、この料理にしたら高いかな。だから、持ち込んだカップ麺を食べている人もいる。

ご飯を食べながら、船が全く揺れていないのに気がつき、林さんに「全然揺れませんね」と言ったら「そうですよ、まだ出航していませんから」 「えっ!」

台風の風と波を避けるために、まだ港を離れていない。食事の後、デッキに出てみたら、そこに見えるのは薄汚れたインチョンの岸壁。 なんて、こっちゃ! 大幅なスケジュールの変更が必要になりそうだ。

船内を歩いてみる。どうやらこの「東方明珠」は、もともと日本の航路を運行していた船を中古で買ってきたみたいだ。至る所に日本語の表示が残っている。船内案内板なんか日本語のまんまやもんな。「2等和室」なんて、韓国の人はどういうふうに使っているんだろう。 乗客の90%ぐらいは、いわゆる行商人らしい。みんな顔見知りらしく仲良くしゃべってる。 2等ではもう横になっている人も多いし、風呂上りのリラックスした姿の人も多い。リラックスしてないのはボクだけか。ロビーではトランプを使った博打をしているグループも数組。もう少したつとマージャンを始めるグループも出てきた。このマージャンをしている方は中国人か(?)。
共通しているのは、出航時間の遅れなど誰一人気にしていないということ。みんなあきらめているのか、それとも急いでいる人がいないのか。のんびりしていて、イライラしている人もいない。さすが「ケンチャンナ」のお国やね。
そんな中で、ボクの心の中は穏やかじゃない。丹東到着時間が遅れたら、その分、丹東を歩き回る時間が減ってしまう。また、下手したら、明日は丹東泊まりで、瀋陽には辿り着けないかもしれん!

船室に戻ると林さんとしばらく話す。彼はタバコもお酒もやらない健全な青年だ。
ボクがこの船に乗っていることがとても不思議らしく、「どうして、飛行機ではなく船で行くのか」「日本はいい国なのに、どうして中国なんかに旅にでるのか(彼は、中国が嫌いなようだった)」
最初は熱心に話しこんでいたが、僕の拙い英語では深い会話が成立せず、言葉が途切れがちになる、そのうちボクが先だったのか、林さんが先だったのか(きっとボクだけど)、そのまま眠りに落ちてしまった。

途中、何度か目覚めて、その度に、昼寝のときとは違う船の振動と揺れを感じる。きっと船は岸壁を離れて出港したんだな。

翌朝、ボクは目覚めると船内を一周。昨夜の夢の痕があちこちに残っている。船室から毛布を持ち出して長椅子で眠っている人もいれば、まだトランプや花札で遊び続けているグループもある。
天気は快晴。波も風も穏やか。東方明珠はすべるように海上を疾走している、いや、のろのろと進んでいる。水平線近くにはもやがかかっていて、陸地はどこにも見えない。
食堂を覗くと、何時の間に放送があったのか、朝食が始まっている。船室に戻ると林さんはもう起きていて「朝食へ行きましょう」とにこやかに誘ってくれた(良かった、一人で先に食べなくて)。
朝食の間、林さんと熱心にいろんな話(主に、林さんの将来の夢について)を聞かせてもらう、ボクは相槌を打っている方が多かった。林さんはこの仕事はもう半年したら辞めて、英語を活かせる仕事に就きたいと言っていた。
部屋に戻ると、テレビでビデオが始まると放送があり、始まったのは「007」。ジェームス・ボンドがハングルをしゃべっているのは、見ていてなんかヘンな感じ。
やがて、ボクは再び夢の中へ。

目が覚めると林さんが「到着は午後3時ごろになりそうですよ」と教えてくれる。本来なら9時に到着予定だから、6時間の遅れだ。でも、この遅れも台風のせいだから仕方ないな。
到着時間が大幅に遅れるので、船長から皆さんに昼食をプレゼントします、という放送も流れたらしい。
林さんに促されて食堂に出かけると、そこにはカップラーメンと丼飯、そしてキムチの小皿。これが「プレゼント」かと思いながらも美味しく平らげる。韓国人はほんとにキムチが好きなんだなぁ、と今更ながら思う。きっともう「好き」とか「嫌い」とかじゃなくて、食事にはキムチと決まっているのだろうな。
食事を終え、一人、デッキで自動販売機で買った缶ビールを飲む。相変わらずの快晴で、海を渡ってくる風が心地よい。今思えば、こうしてビールを飲んでいる時がこの船旅で最もリラックスしていた時だったかもしれない。

でも、正直に言うとこの時のボクはかなり弱気になっていた。
ハングルは全然解らないし、ハングルをあやつる人々のパワーに圧倒されていたのもある。そして、無事に瀋陽に辿り着けるのかも不安だった。
丹東はもちろん初めての街だし、港から駅にある街の中心地まではずいぶん距離もあるみたいだ。予習不足で、どうやって移動したらいいのか分からない。バスはあるのかな。丹東から瀋陽へ今日中に移動できる汽車はあるのだろうか?
もう一つの不安は中国のお金「人民元」の手持ちが80元ほどしかないことだ。これが空港なら、必ず銀行があって両替できるだろうけど、港にも両替の窓口はあるのか?貧弱な仁川のターミナルを目の当たりにてきただけに、丹東の港に期待するのは酷なような気がする。
もし、タクシーで丹東の駅まで行ったら、それだけで80元は無くなってしまう。丹東から瀋陽への汽車賃も無いよ。
そんなこと考えたら、今日の瀋陽への移動はあきらめたほうがいいのかなぁ。まぁ、なんとかなるやろうけどね。

いつのまにか、海の色が淡いエメラルド色から、黄土色に変わっている。さすが「黄海(Yellow Sea)」だけあるなぁ。
相変わらず、水平線にはもやが掛かっていて、空と海の境目はハッキリしないし、陸地も確認できない。上空はそれこそ「日本晴れ」なんだけどね。黄色い海はびっくりするほど穏やかだ。
それに、気温がグングン上がってきたみたいだ。すごく暑い。
やがて、船が何隻か見えてきた。日本では見かけないような木造で、舳先と船尾が異常に出っ張っている「中国ちっく」な船。旗から判断するに中国の漁船であることは間違いなさそうだ。長江でみかける内面を運行する船とはずいぶん感じが違う。

何本かのビールを飲み干すと、近くを航行する船も増えてきた。
すると、一隻の黒い船が猛スピードで近寄ってきた。やがて方向を換え、この船が我が東方明珠号に横付けになる。どうやら水先案内人と税関の職員を乗せてきたようだ。
前方右には大きな今まで見たことがないような、ほんとに大きな中洲が見える。丹東は河口にある街なので、もうすぐ到着なんだなぁ。

船室に戻ると林さんが「もうすぐ到着ですよ、ボクと一緒に来れば優先的に下船できますよ」と教えてくれる。林さんはこのフェリーを運行する会社の中国側の社長だもんな。
ここで、林さんに「もし、よかったら瀋陽までご一緒いただけないだろうか」とお願いしてみる。答えは「OK」。よかった。
荷物を持って林さんの後ろをついてデッキに降りていく。そう言えば船員の誰もが林さんに頭を下げて挨拶してる。さすがやなぁ。

やがて、到着。接岸。

タラップが降ろされる。
「はぁ、やっと着いたか」
林さんと一緒に降ろされたばかりのタラップを一番最初に降りていく。船を振り返ると、巨大な荷物を持った他の乗客がデッキに鈴なりだ。
ようやく、中国到着。暑い。とてつもなく暑い。それに、太陽はもう斜めになっていて、今日中に瀋陽に辿り着けるのか不安だ。
それにしても、入国審査はどこでやるんだ?
タラップを降りたところに、いかにも中国らしいほんとにくたびれたバスが止まっている。カーキ色の制服を着た公安の兄ちゃんが手振りで「このバスに乗れ」と指示してくる。
「このバスで入国審査場に行きます」と林さんが教えてくれる。
やがて、バスは満席になり(と言うよりも、座席が荷物で一杯になっちゃた)出発。バスは猛スピードでどんどん走って行く。一体どこまで行くのか。