「チャップリンの独裁者」

21/Aug./2003

  

続けて「チャップリンの独裁者」、チャップリン51歳、1940年の作品。時代はまさに第二次世界大戦勃発のきな臭い頃。
当時、ヒットラーのナチスドイツのファシズムが台頭していた。チャップリンはこのヒットラーをモデルにしたヒンケルという独裁者と、もうひとりユダヤ人の床屋という一人二役を演じている。
この二人がお馴染みの人違い騒動によって、ユダヤ人床屋がヒンケルと間違えられ入れ替わるというお話し。
床屋はヒンケルとして演説の壇上に立たされることになるが、そこで彼は独裁への批判と反戦、人類の自由と幸福を問う演説をするという演出。

チャップリン作品としてあまりにも有名な映画。
これが当時にあってリアルタイムに造られ、痛烈に独裁者を風刺しファシズムを批判したのだから、もしドイツが戦争に勝っていたらエライことになっていただろう。あぁ僕らはなんていい時代に生まれたもんだ。

独裁者ヒンケルは巧妙な演説を行うカリスマ性で人心を掴み、世界制覇を目論む。この演説のシーン、やたら長いし字幕も出てこないなぁと思っていたら、ホントのヒットラーの演説っぽく喋り方をまねてデタラメな言葉を話ていたのか。
しかしそんな彼も実は内心は小心者、孤独で自分勝手、負けず嫌い。このいかにもな独裁者ぶりの役柄を演じるチャップリンはやっぱり見事。
その周りを固める人物もなかなかいい味出している。常に頭の切れる参謀が控えていて、ヒンケルも彼の意見に耳を傾けるところなど、悪い奴を尚悪くするといういかにもいかにもな役。
いつも虐められる不運なおデブ将軍もいい役どころ。
他にイタリアのムッソリーニをモデルにした、ナパロニという隣国の独裁者も登場する。彼の到着シーンはしつこいところだが、ヒンケルとどっちが優れるかという醜い争いを繰り広げるくだりは面白いところ。

一方のユダヤ人床屋は、独裁者と比べるとどうも存在感が無い。
チャップリンの他の作品のに比べると、ユダヤ人街で行われるドタバタはホロコーストを題材にしているだけにリアリティが感じられにくい。やっぱりホロコーストものの映画を観ていると、ユダヤ人迫害はもっとひどいものだと思うからかな。ここに登場する脇を固める人物もいまいちよくわからなくてパッとしない。まぁこの庶民と独裁者の対比があってはじめて映画が活きてくるものだから、それはそれでいいか。

最後の演説シーンはもはや映画でなくなるほどにメッセージが伝えられる。ここまでメッセージ色の強い作品というのもめずらしいものだ。そういえば今の時代にはこういった風刺映画は少ないものだ。
これはやはり映画というものが興行という商業ベースで造られるから、どうしても観てもらえる映画を造らなければならないからだろうと思う(「D.I.」なんて思いっきり寝てしまったしね)。
目の肥えてきた現代人に観せる映画を創るのもたいへんだね。

チャップリンと言えばこれは観ないといけないでしょう。
まだ観た事が無い人は、是非一度ご覧ください。

次回はドイツ映画「マニトの靴」をご紹介します。