「祇園祭」

15/Jul./2002

  

祇園祭の始まりは貞観11年(869年)。当時、京の町に蔓延した疫病を鎮めるために、ト部日良麿が当時の国の数に合わし66本の矛(鉾)を神泉苑に立て祭ったのが始まりといわれています(異説あり)。
その後天禄元年(970)以来、祭は千年以上に渡り毎年行われてきました。一般に、祇園祭と言うと‘宵山’‘山鉾巡行’が有名ですね。しかし実際は約1カ月にわたってさまざまな行事が行われています。

京の街は今、祭のにぎわい。こんな日にふらりと向った先は、京都は三条高倉にある京都文化博物館。ここは劇場ではなく、博物館です。何を展示している博物館なのかは、全然知りません。この博物館の3F映像ホールでは映画が上映されております。この日観たのは、「祇園祭」という映画。祇園祭記念として特別上映されておりました。68年の松竹映画。この映画は当時はヒットしたのでしょうか? 名前も始めて聞くような映画です。

時は戦国、応仁の乱に端を発した戦乱は京の町を焼き尽くした。将軍足利義晴は都を追われ、代わって管領の細川晴元が機内を支配したが、事態は収束をみせず、人々の貧窮は極みに達していた。
虐げられた農民達は結束し、各地で蜂起する。果てぬ戦乱の世に、京の町衆はいつしか祭を忘れ最後の祇園祭が行われてから、30数年の月日が流れていた...。

京町衆の一人、新吉(中村錦之助)は染物職人。彼はこの日、祭の伝承を伝える最後の老人が息をひきとる際、その笛を託された。
その夜、新吉は笛を吹く謎の女あやめ(岩下志麻)と出会う。笛の音に惹かれてあやめを追う新吉。しかしその間、町は農民の土一揆に襲われる。なんとか一揆勢は退却した。しかし町衆達はまた、この乱世の恐怖に脅える。
そして彼らはついに町を守る為に、弓矢を揃え、武装し、一揆勢の討伐へと向う決心をする。
一揆の討伐へ向う町衆達。彼らには侍が加勢していたが、一揆勢には馬借と呼ばれる野武士達が付いていた。侍は蹴散らされ一目散に退却する。残された新吉たち町衆は、犠牲を出しながらもなんとか馬借を追い払う事に成功する。 犠牲の大きかったこの戦いに、得るものはなかった。そして侍は、自分達を支配するが、守ってはくれないのだ...。自分達町衆が、出来る事はいったいなんなのか...。
落胆した町衆達。
だが彼らは侍に、自分達の存在を示す為、何ものにも支配されない強い意志を見せる為に、祭を、今再び祇園祭を復活させようと、奮起し始めたのだ。

ざっとしたあらすじですが、わかっていただけたでしょうか。いや正直、僕もよくわかっていません。
彼らが祭を再興させようとした意義が、今ひとつ現実味に欠けるようなものだったように思えます。また映画は3時間近くに及ぶ長編で、時間をかけてた割には、最後の祇園祭は少しもの足りない。新吉とその周りの人達だけが映し出されていて、町全体の活気が今一つ伝わってこなかったように思えます。少し残念に思うところもありますね。
この映画で一番驚きましたのは、岩下志麻の若さとそのあまりの可愛さでした。この映画の出演には他にいろんな人が出ていました。あやめの付き人役に田中邦衛。馬借の頭領には三船敏郎。鍛冶屋の頭は渥美清とその弟子に北大路欣也。他ちょい役で高倉健や美空ひばりも出てました。後は知らない人ばっかりでした。

京都文化博物館の映像ホールではこんな昔の映画ばっかりやってます。初期のゴジラや大魔神なんか上映していますね。他は知らない映画ばかりでした。
次はまともな映画に行こうと思います。
それではサイナラ