「バッファロー'66」

視線が過去から将来へと変わる時


  

ようやく観てきました「バッファロー'66」。
とぼけた、しかし味のある一本です。

「この写真を今度、両親に送るんだ」と言って3分間写真のボックスに並んで座る二人に思わずほほえんでしまいます(アメリカではこんな風にこの写真を使うのね)。
「触るな、俺に触るなと言ってるだろ。そういう『好き』じゃないだろう。夫婦で長い間本当に夫のことが好きです、愛してます、慕っています、という顔をするんだ。いいな、わかったな、ちゃんと返事しろよ(台詞の細部はうろ覚えです)」
主人公のビリーのレイラに対する要求は、ほんとは自分の両親がこうだったらいいのになぁ、という彼の思いのウラ返しだったように思います。

しかし、自分の奥さん役をしてもらうレイラに、昔片思いだった女性の名前を付けるなんてかわいいね。しかもその本人にデニィーズで隣り合わせになってからかわれてしまう。
「昔、毎日私の家の前をうろついていたわよね」
「あのあたりに友達の家があったんだ」
それなのに、名前も忘れられている(少し悲しい)。

ビリーとレイラがベッドで距離を置いて寝ころびながら手をつなぐシーンがあるんだけど、普通の男と女の立場が逆のようで、レイラがじわじわと手を伸ばして手をつなぐと、しばらくしてビリーが手を引っ込めてしまう。そんなビリーがかわいくてかっこいい。

敵地のストリップバーに「敵討ち」のために単身乗り込むビリー。 そして、そこで見た白昼夢で吹っ切れた彼が拳銃を捨て、友達への「遺言」を取り消す電話をし、ドーナツ屋でココアとハート型のクッキーを嬉しそうに買う表情がよかった。
今まで両親や過去の出来事ばかりに目を向けていたビリーがここではじめて、自分自身や未来に視線を移し始めたんだと思いました。

アメリカ村・パラダイスシネマでもう少し上映中。

おしまい。