休暇 |
黒子だからこそ伝えられるものがあるのかもしれない |
森達也の「死刑」(朝日出版社 ISBN:9784255004129)を読んで、「接吻」と「ブレス」を観て、そして今度は「休暇」を観る。宮崎勤死刑囚の刑が執行されたのとは関係なく、08年はボクにとって“死刑”を連想させる年となりそうだ。 なんとも云えない“苦い後味”を残すお話し。
誰でも、ほとんどの場合、就職活動を行う過程で望んで受験し採用されるのだけど、世間知らずなのか、勉強不足なのか、その職に就いてしまってから(激しく)後悔することもある。もちろんボクだって、誰に頼まれたわけでもなく、自分が望んで今の職場に入ったわけだけど、順風満帆なわけはなく、いいこともあったけど、もがき苦しんだことも多いし、「やめてしまいたい」と思ったことも数知れず...。
きっと中年に差し掛かっている刑務官・平井(小林薫)だって、今のボクとそう変わらない(そんなこともないかもしれないけど)。 そんな黒子に敢えてスポットライトを当てたのがこの「休暇」。
一体、全国に幾つの刑務所があって、何人の刑務官がいるのかは知らない。いや、死刑囚は刑務所ではなく、拘置所に収容されているのだった(拘置所に勤めている人も刑務官なのかな?)。執行前の死刑囚は確か100人前後と記憶しているけど。死刑が執行される拘置所はそんなに数多くあるわけではないし、ここ数年は年間で数名の執行が行われるだけなので、実際に死刑を執行する刑務官の数はそんなに多くないはず。
少し前に、民放のラジオ番組で数十年前の死刑執行の様子を録音したものがオンエアされたそうだ(残念?ながらボクはその番組を聞き逃している)。それが果たしてどこまでインパクトがあったものなのかボクにはわからないけれど、そこには間違いなく真実だけが持つ“音”がああったんだろう。
国家権力が合法的に“国家の主権者”である人(=国民)の命を抹消する。この事実について、本当はちゃんと考えなければならないのかもしれない。日本もそろそろそんな時期に来ている。 おしまい。 |