潜水服は蝶の夢を見る

恨みやつらみは言わない



  

「人生を達観するとはどんなことなのか」そんなことを思わず考えてしまう。
順風万帆の人生を歩んでいた。
それが突然、全てを失い奈落の底に叩き落とされてしまう。
ただ一つ。片方の目だけ瞬(まばた)きが出来るということを除いて...。

人間とは群れて、周囲とのコミュニケーションをとりながら生きていくものなのだと、改めて知らされる。周囲とのコミュニケーションを阻害され、周囲から取り残されてしまうと、そこにあるのは“絶望”という二文字。もう、人として生きていく意味がないのだから...。

主人公ジャン=ドミニク・ボビー(マチュー・アマルリック)はファッション雑誌の編集長を務め、時代の最先端を突っ走っている。自由に生きている。まるで、世界中の全てを手の中に収めているとさえ思っていたかもしれない。
それが、ある日、まだ幼い息子とのドライブの途中で悲劇に見舞われる。

予告編では、不注意による事故なのかと思ったけれど、実際は、急な発病にによる発作(?)だった。意識は戻ったものの、全身が麻痺に陥る。意識が戻ったことを知らせる方法が無い。誰も自分に気が付いてくれない。自分がここにいるのは知っているのに、コミュニケーションを取る手段が無い。声が出ないばかりか、手も足も、どこもかしこも動かない。頷くことさえ出来ないなんて...。
視力が戻り、聴力が戻る。
そして、左目だけで瞬きが出来ることを知る。
そして、献身的な病院のスタッフにより、瞬きを使って、自分以外の外部とコミュニケーションを取ることに成功する。

何でもそうだ。今そこにあるものは、あって当たり前。普段はそのありがたみはもちろんのこと、存在価値すら意識したことがなかったのに、ひとたび失ってしまうと、改めてその有難さに感動さえしてしまう。

(まだ実現はしていないものの)ボクはこの元編集長が書いた本を読んでみたいと思った。
それにしても、このお話し、極めて抑制が効き、かつ達観した描き方をされている。掌を返したようなヤツもいただろう、それどころか、見舞いにすら来ない人も珍しくなかったにちがいない。いやいや、そんなことはまだまし。自分の運命に恨みのひとつも云いたくなるのが普通なのに、そのあたりは実にさらっとしか描いていない。
それが、ある意味好感が持て、一方では物足りなくもある。
また、地方都市に住む年老いた枯れの父親、いい味出していますね。

ちらっとでも、自分自身の人生に絶望を感じたことがある人にオススメ。人生経験がまだ足りない人には、ちびっと物足りないお話しなのかもしれません。

おしまい。