ラスト、コーション

ラスト、コーション 再び



  

昨年末にソウルで拝見した「ラスト、コーション」。とうとう日本でも公開が始まっている。
この日のシネ・リーブル神戸はいつもとは違って混み合っていて、ほぼ満席で立見(座り見?)も出ていた。それに、ふだん中華圏の作品をご覧になる客層とは明らかに違って、いつもは(中華圏の映画に限らず)映画館でお見かけしないような中年以上の方が多かった。この作品がどんなプロモーションを展開していたのかは知らないけど、これはいいことだし、嬉しかった。ただ、スクリーンにあんまし足を運ばれない方々はそれなりにマナーをわきまえてない方もちらほらいらっしゃって...。まぁ、痛し痒しですか。

ストーリーは概ねわかっているので、安心して観ることができるというか、細部に至るまで“気付き”の連続。また、当たり前だけど今回は懇切丁寧な日本語字幕が付いているので、実によ〜くお話しが理解できました。

で、ボクは何を思いながら二度目の「ラスト、コーション」を観たのか。
それはズバリ「ボクもこんな恋がしてみたい!」という“願望”だ。
どういうことかと言うと、、もちろんボクは男だからチアチー(タンウェイ)の立場での恋は出来ないし、考えられない。だから、イ(トニー・レオン)のように、たとえとっかかりが別の理由であったとしても、タンウェイのような方と色恋の泥沼にどっぷりつかるような恋がしたい!
ルックスもトニー・レオンには遠く及ばないのはもちろん、財力だって社会的地位だって月とすっぽんほど違う。しょせん、しがない中年のおっさんのボクには適いそうもないけどね。しかし、スクリーンを観ながら夢を見るのは自由。妄想は広がっていく...。

もうひとつわからないのが、麻雀サロンと化しているイの家庭と奥様方の存在。う〜む。この人たちって他にすることはないのだろうか。それとも、ある程度よりも上の階級になると、旦那が何をしていようと関係ないというか、興味が無いのかな? 最初の方では、旦那連中の仕事についての会話もあったような気がするけど...。

しかし、映画のためのお話しだとはわかっているけど、なんとも言えないストーリーと展開。トニー・レオンとタンウェイの組合せ。香港と上海の街。衣装にセットの素晴らしさ。
観終わった後に残るのは、感動ではないけれど、憧れとも賞賛ともつかないなんだか不思議な気分。なんだか夢のような、まさしく映画を観たという気分にさせてくれる。
もちろん、話題にもなったであろう激しい(?)ベッドシーン(蛇足だけど、日本での上映版では明らかにこのシーンがカットされているし、しかもあのボカシはないでしょう...)もあるけれど、どうしてこんな気分になるのか、その理由は丁寧に作られているからだと思う。
どうしてチアチーが命を賭けてまであんな行動を取ってしまうのか、そこに至るまでの描写が丁寧であるからこそ、何の疑問も持たずに最後まで観てしまうんだろうなぁ...。

哀しいのに、悲しくない。
そして、バカなボクは「こんな恋がしてみたい」と思ってしまうのだ。

おしまい。