ある愛の風景

人間の弱さこそがテーマなのか



  

人格とはこうもカンタンに崩壊してしまうものなのか...。
スクリーンを後にして高速神戸へ向かう道すがら、その足取りが重く、かつ衝撃でアタマがぼんやりとしてしまっていた。
ニンゲンはボクが思っているよりも強くなく、もろく崩れやすいものなんだなぁ...。

訓練を受けた将校であり、職業軍人ですらこうなのだ。
それでなくても弱くてもろいボクはとても耐えられない。
本当のことは誰にもわからない。自分が何をしてしまったのか、それを知っているのは自分だけ...。

この物語り、幾つもの伏線が張り巡らされていて、実は観る人は一人に感情移入するのではなく、次から次へと叩きつけられる“挑戦状”に答えているうちに打ちのめされてしまうのだ(ほんまに、ごっつい疲れる映画)。
その数々の“挑戦状”は状況の説明がとても巧みで、ほんの短いシーンの幾つかで「この兄弟は“賢兄愚弟”なんだな」と思わせたり、次男と父親の仲はかなり険悪とか...、さまざまな投げかけが実に鮮やか。そしてその各々のシーンで、観ているボクは「もしボクが●●だったら...」とずっと考えさせられてしまう。

二つ感じたことがある。
まず、このお話しには“悪者”は出てこないこと。誰もが表面上はさておき、本質的にみんないい人なんだ。その意味ではなんだかほっとして観ることが出来る。
二つ目は、いろんな人の複数の視線で語られることがこの監督の作風だと思うんだけど、タリバンの戦士たちだけがまるで理解不能のエイリアンとして一方的に描かれていることはどうなんだろう。そういう意味では、この映画に唯一出演する“悪者”はタリバンということになる。この作品、タリバンの本質を描くことが目的ではないことはわかるけど、ここまで一方的にエイリアン然として登場させるのはどうなのかなぁ。

細かいストーリーの説明はしない。
夫婦、親子、兄弟、戦場における人格の崩壊、帰還後のPTSD、もう数え切れないほどの問題定義が次から次へとありながら、物語りとしては全くブレていない。その演出力は見事としか言いようがない。その手腕には素直に脱帽。
ただ、極限下のミカエルの心理描写が少し弱かったかな〜と思わないでもない。

もし、最後の事件を起こしてしまう前に、(軍法会議にかけられたかもしれないけれど)軍の病院で専門家による治療を受けられていたらなぁ...。家族も怯えているだけではなく、相談する相手はいなかったのだろうか(まぁ難かしかったんでしょうけど)?
ここ数年、ボクの身の回りでも急速に心の疾患を持つ人が増えている。そして、それを本人が自覚したときには手遅れに近いケースが少なくない。ましてや傍観者であるボクが気が付くときには、どうしようもなく手が付けられないことすらある。過度なストレスがかかるボクの職場で、そんなケースを目にする付け、心のケアは周囲がいかに早くその予兆に気が付いてあげるかが大切だとようやくわかった。もっとも、そのためにはボク自身が心に余裕を持っているのが前提なんだけどね...。

主演のサラ(コニー・ニールセン、この方かなり綺麗な方です!)、その夫であり軍人のミカエル(ウルリク・トムセン)、そしてミカエルの弟ヤニック(ニコライ・リーロス)。この三人はかなりいいです。う〜む、何本も取られました!
監督は「アフター・ウエディング」のスザンネ・ビア。受ける衝撃の大きさだけを較べれば、この「ある愛の風景」の方が大きいです。ちびっと調べてみると、この監督「しあわせな孤独」という作品も撮っていて、なんと2004年にボクも観ている(すっかり忘れていたけど!)。
さまざまなシュチエーションの中で人間の持つ深層を描くことに長けている監督だと思います。次回作も見逃せないね!(次回作はハリウッドで撮っているらしいので、あんまり過度な期待はしないほうがいいかな?)
ここまで観た作品の中では、文句無くNo.1。かなりのヘヴィー級だけど、間違いなくオススメ!

おしまい。