呉清源 極みの棋譜

海を見つめるチャンチェンにしびれたが...



  

ずいぶん前から、チャンチェンは友達のK企画のかっちゃん(最近映画はちっとも観ていないようだけど、ちゃんと元気にしています!)に似ていると思っていたけど、この作品の中の坊主頭のチャンチェン、本当にかっちゃんに良く似ている。

まぁ、それはさておき。
この映画は何が伝えたかったのか。それが今イチボクにはよくわからなかった。
言ってしまえば、戦前から戦中、そして戦後にかけて、向かうところ敵なしの天才棋士・呉清源の生涯を描いているわけだ。それはよくわかるものの、彼の生き様の中からボクは一体何を観ればいいのかと、ふと考えた。
朴訥とした好青年が中国から渡ってくる。幾度かその棋譜を日本に送り、そこからこの青年のただなぬ才能を見抜き、陰に日なたに時に強引にバックアップする瀬越(柄本明)。ただ、語られる視線は固定されることなく、呉清源の姿が淡々とい描かれる...。
ある時期、彼は奥さんとなった日本人とともに新興宗教に傾注していく。その姿は常人の理解をはるかに超えているにもかかわらず、距離を置きすぎたかのような視点は醒めている。どうしてとか何故という問いかけやその解答ももちろんなく、ただ事実として描かれる彼の姿は、なんだか滑稽ですらある(ような気がする)。それに、あんな時代にもこんな新興宗教が存在していたのだということにびっくりしてしまいました。
いや、もっと滑稽なのは原爆に吹き飛ばされながらも本因坊(?)のタイトル戦を続行する棋士たちの姿かもしれないけど...。

ボクがここで何が言いたいのかと説明すると。
この呉清源という棋士を題材に映画を撮るなら、もう少し違う描き方があったのではないかということ。天才棋士であったものの、人間としては実に実直で泥臭かった彼の生涯を描くのか、それとももっと彼の碁そのものに焦点を当てるのか。そのどっちでもないので(少なくともボクの心には)全く響かない作品となってしまっている。
チャンチェンはいい芝居を見せてくれているだけに、もったいないような、残念なような...。

予告編で見た、船の上、風に吹かれながら鉛色の冬の海を見つめるチャンチェンの渋さにしびれ「これは観逃せん!」と決意したものの、瞬く間に関西での上映は終了。もうすっかり諦めていたら、上京した折、シネスイッチでモーニングのみで続映されていました(その時は嬉しかった!)。いつものシネスイッチとは違い、きっと碁がお好きなんでしょうね、かなり年配の男性がお一人でお越しになっている姿が目立ちました。

おしまい。