懐かしの庭

人生は無駄な時間の積み重ねなんだな



  

最初、ヨムジョンアはミスキャストだと思った。
この人に、こんな一途な女性の役は似合わない。
が、エンドロールが流れる中、ボクはヨムジョンアをすっかり見直した。彼女はいつの間にこんなにいい女優さんに成長したんだ!

光州事件がどんな事件で、どんな時代背景を持っていたのかを体感として知らないボクたちには少し理解し難いのが残念。
しかし「ペパーミント・キャンディ」などで、なんとなく事件の輪郭は知っている(あの映画ではこの事件で逆の立場にいた人間模様が描かれていましたね)のでなんとかなる。

民主化運動の急先鋒の組織の一員として体制と対峙していたオヒョヌ(チジニ)。事件後、公安から逃れるために寒村に匿われる。彼を迎えに行き、匿ってくれたのは芸術家で中学の教師をしているハンユニ(ヨムジョンア)だった...。
映画は、オヒョヌが16年にも及んだ獄中生活から解放され、出獄されるところから始まる。すなわち、あらかじめ今から語られる物語りの結末を観客に明示してからスタートするのだ。
刑期を終えたオヒョヌは家族に迎えられる。そして、落ち着きを取り戻してから向かったのは光州、その後その足でハンユニと過ごした湖のほとりにある韓屋を訪ねる...。

人生とは数奇なものだ。
そして、出会いや運命や恋愛などは、理屈や数式などとはかけ離れたところに存在するものなんだと教えてくれる。
面識も無く引き合わされた二人。その出会いが運命的なものなのかどうかは関係ない。理由や理屈ではなく、二人は出会い、そして結ばれる。それだけ。
そうか。人生が幸せだったのか、そうではなかったのかなんて、他人が判断するものではなく、当人がどう思っているのか、どう受け止めているのか、それだけが基準なんだ。
一緒にいなくても、静かに深くしまいこまれた記憶の中にだけ“幸せ”があれば、それはそれでいいものなのかもしれない。

実話ベースなのか、それともフィクションなのかは知らないし、あんまり関係ない。
事実を事実として、表現しているわけでもなく、また、感情をストレートに台詞で表現しているわけでもない。そこにあるのは、事実としての時の流れと、あくまでも“示唆”にしか過ぎない。
だから、観る側や受け手を選ぶ作品になっている。ボクが思うに、若い人にはあまり向かないかもしれないな。ある程度人生経験を積んだ方にこそ、胸に染み入るものがあったのではないでしょうか?

ストレートな直球勝負が多い韓国の作品の中では異色だと思う。ふんわりとした変化球で、手が出そうで出ないまま、見送ったらキレイなストライクだった、そんな感じの作品ですね。
余韻を楽しんで、少し時間を置いてもう一度観たくなるような、深みがあるお話しだと思いました。
繰り返しになるけど、ヨムジョンアがいいです。

今年も「シネマコリア」は大阪でも開催して下さいました。4作中、2本は既に観ているので、この作品と「ホリディ」を拝見する予定。今年はエンターテイメント性よりも、割りとお話しの深さで作品が選ばれているような気がします。
今年は大阪会場も一作品一回のみの上映のせいでしょうか、会場のナナゲイは多くのお客さんで埋まっていました。

あんにょん!