夕凪の街 桜の国

ヒロシマとは何なのか



  

哀しくなる物語り。
終盤に差し掛かるあたりから、僕自身もそうだったし、場内のあちらこちらからすすり泣く声が聞こえてきた。

もうずいぶん前のことだけど、広島に引っ越してすぐに不動産屋のおっちゃんに「広島は夕方になったら風がやむから暑いよ」今から思えば、これは“エアコンを付けんさい”という意味だったんだな、きっと。そんな広島の夕凪のことは、この映画を観るまですっかり忘れていた。
そして、働く場所としての広島。そこは、中国地区の中心地として機能している街、すなわち人と情報とお金が集まってくる中核都市だと思っていた。この街にかつて原爆が投下され甚大な被害を出したことを“知識”として知ってはいたものの、それは何か実感を伴うことではなかった。確かに街中には原爆ドームが鎮座しているし、路面電車のなかには被爆電車も走っていたのだけど...。

知っているつもりだけど、実は何も知らないことってずいぶんあるんだな。
この映画を観ていて一番ショックだったのが「わざわざ疎開させたのに、ピカに遭った娘を嫁にもらうこともなかろうに...」という一言。そうだったのか、やっぱり言葉にはほとんど出てこない差別は存在していたんだな。
「父と暮らせば」も終戦直後の広島が舞台だった。でも、このお話しは広島に居る人だけで完結していて、他の場所からやって来た人は登場していなかった。差別は内部の人だけではわからない。外部との接触があって初めて表面化するもんだなぁ。
原爆という被害に遭ってしまった広島や長崎の人を思いやる気持ちがあったのも確かだろう。でも、それはあくまでも自分とは直接の関係がない状態である時のことで、そうではない時にも同じように考えられたのかどうかは...、ボクにもわからない。

現在と過去が交錯しながらお話しは進んでいく。
原爆で亡くなった人も悲惨だが、原爆に遭いながら生き残った人も悲惨だ。放射能による身体の変調はもちろん、気持ちの中にまでとても表現できないような重い物を背負って生きていかなければならない...。
そんなことは、お話しや本の中のことだと思っていたけど、実はそうではない。今でも、どこにも書いていないけれど、被爆者という思い十字架を背負っているのだなぁ...。ほんと、何も知らなかった。

堺正章が意外と良かった。この人、少し枯れた芝居も出来るようになってきたんだな。マチャアキよりも愁眉の演技は麻生久美子の幸薄い演技が本当に良かった。彼女が皆実と同化して初めてこの映画が完成したんだな。そんな思いが強かったです。

どんなお話しなのかは、ビデオやDVD、もしくはTV放映でご覧下さい。文句なしに、二重丸のオススメです。
ボクは、そのまま書店さんに行って原作の「夕凪の街 桜の国」(こうの史代 双葉社 ISBN:4575297445)を買ってしまいました...。原作もオススメです。

おしまい