サン・ジャックへの道

モノよりも大事なものがある



  

春先に予告編を見て「観ようかなぁ」と思っていたものの、あわわと思っている間に終ってしまった(最近はこんなんばっかり)。で、そんなこともすっかり忘れていたところ、福岡へお邪魔することになり「何かやってへんかな〜」と調べてみたら、こっそりと上映されているのを発見。う〜、こうやって巡り合うのも、やっぱり縁なのかなぁ...。

いつか行こうと思っていることの一つに、お遍路さんがある。白装束に金剛杖で四国のお寺を巡るやつです。何の願を掛けるわけでもないけど、自分の足で歩いてみたい。そこには山歩きとはまた違うものがあるはず...。ただ、そこには宗教的なものは希薄。
巡礼といえば、イスラム教徒におけるメッカやキリスト教やユダヤ教のエルサレムなど、本人の宗教観が色濃く反映されるものだと思っていた。でも、目的地に価値があるのではなく、その道中にこそ価値があるのかもしれないな。

会社を経営していて、片時もケイタイが手放せない忙しさ、しかし、家にいる奥さんはアルコールに溺れている。高校で教鞭をとっている、しかし旦那さんは失業中で子供を抱えて困っている。生まれながらの怠惰さで、ず〜と失業中でアル中、奥さんにも愛想を尽かされて娘ともたまにしか会えないし、待ち合わせたカフェの支払いも彼女に頼っている始末...。
そんな男・女・男の中年三兄弟が、どういう巡り合わせかフランスからスペインに続くキリスト教の巡礼路を一緒に歩くことに...。

人生とはなんと余分なものを背負っているのだろう。あってもなくてもそんなに違わない。あれば便利だけどなくてもどうってことがないものばかりなのかもしれない。じゃ、余分ではないものは何なのか、それを探しに、知るために人は巡礼の道を歩き始めるのかもしれない。

別に難しいことを考えて観る必要は全くない。
生まれたときから仲が良くない三兄弟。母親が残した莫大な遺産を相続する唯一の条件として示されたのが、三兄弟が徒歩で巡礼を行うことだった。
仲が悪い三兄弟とプロのガイド。そして、何故か一緒にツアーに参加する高校三年生の男女4人と何かワケがありそうなご婦人。この9人で巡礼の旅が始まる...。
定石といえば定石なんだけど、互いにぶつかり合い反目していた兄弟、道中で出会う様々な出来事を経て、少しずつ心を通じ合わせるようになる。高校生やガイド、ご婦人もいいクッションになっている。

あゝ、旅に始まりがあるように。旅は突然終る。もう少し夢を見ていたかったな。

大絶賛かというと、実はそうでもない。同行のメンバーはクッションになりスパイスとなり、本筋に彩りを添えてはいるのだけど、やや饒舌だったように思う。そのせいか、三兄弟の邂逅が注意散漫のうちに成し遂げられてしまうのが、やや残念だったかな。
もう一つは三兄弟にとって、母親の存在がなにであったのかが全く描かれていないのが不思議だ。単なる遺産贈呈マシンであったはずはない。また、この旅に参加させるまでに、どれだけ母親が胸を痛めていたのかも、少しは説明してくれる必要があったのではないでしょうか。
宗教や人種などの問題についてはサラリと交わしている。それは、この物語にとっての巡礼が宗教的な意義を求めているのではないだけにOK。好感が持てた。
もっと特筆すべき点は、美しさ。ボクたちがイメージしているヨーロッパの姿とこの映画で描かれる姿のあまりの違いに、思わず目を見開いてしまう。こんなにも広く、こんなにも美しいのか! 何故かケイタイがつながる木。郵便局のお騒がせ男。こんな皮肉もおしゃれに処理されてましたね。ボクも一週間くらいならこの巡礼路を歩いてみたい!

女の子が途中の岩陰で重たい荷物の中身を捨ててしまう。
そうだよ。人生に本当に必要なものは何かを探しに歩き始めるべきなんだよ! それも、今すぐに!

おしまい。