密陽/ミリャン/Secret Sunshine

一人カラオケで盛り上がるソンガンホの背中が哀しい



  

難しいお話しなのだ。

まだ学校に上がる前の一人息子を連れ、先立たれてしまった夫の故郷・密陽(みりゃん)へ戻る途中のシネ(チョンドヨン)。生憎クルマがエンコしてしまい道端で立ち往生してしまう。レッカーを呼ぼうにも、初めて訪れる密陽の街で、どこで立ち往生しているのかすらわからず説明しようがない。ようやくやってきた修理工場のオヤジがジョンチャン(ソンガンホ)。
こうしてシネの密陽での生活が始まる。やがて、ピアノ教室の運営も軌道に乗るかに見え、息子の幼稚園(?)での日々も普通に過ごせるようになってきた。このまま何も起こらなければ、田舎町での退屈な日々が繰り替えされるだけに見えたのだけど...。

なんとも後味が悪く、砂を噛むようなお話し。
人生とは何なのか、生きていく目的とは何なのか。答えは出ないのに決まっているのに、何かの拍子にそのことを考え出すと、止まらなくなってしまうような、まるで人間の永遠の課題をこの映画は改めて突き出しているように思えたのはボクだけだろうか。

人間はいろんなものを失くしたり、捨て去ったりしてして生きていかなければならない。
手に入るはずなんかないのに、でも、いつも頭の上に輝いているのは「希望」という二文字。それにすがりつくために、一歩でも近づくために、ある人は強く生きようとし、ある人はお金儲けに邁進し、ある人は他人の力に依存し、そしてある人は神にすがるのか。

別にどんな人が好きとか、そんなものはなかった。出前のコーヒーを運んでくるタバン(喫茶店)のお姉ちゃんと軽口を交わし、日々真面目に生きて来た。そこへ、何の前触もなく、突然現れた未亡人に、ただワケもなく憧れてしまった。

「ここまでコケにされてしまった教会は黙っているのだろうか?」なんていらぬ心配もしてしまいますが、人間とは所詮そんなもので、なんだかんだ言ったところで、やっぱり俗物なんでしょう。
そう思うと、実は人物描写にとても優れている作品なんだと思います。みんなわかっているけど、ついつい目をそむけてしまいたいことや、誘惑に抗いきれない気の弱い人たちだけがしてしまうようなことを丹念に描くと共に、社会の持つ理不尽さや、あるいはたわごとのように思えてしまう神の下での平等(?)がもたらす憤りを上手に表現している。

映画を“楽しみに”行くというスタンスでご覧になると裏切られます。人間の真理の一部を“盗み見しに”行くという姿勢が正解ではないでしょうか。
台詞による描写が少なくなく、ボクは半分も理解出来ていない可能性があります(大筋は間違っていないと思うけど)。だから、日本語字幕付きで上映されるチャンスがあれば、何をさておき駆けつけて観たい。そう思いました。
ただ、チョンドヨンがこの作品でカンヌで主演女優賞を取り、ソンガンホも主演しているとはいえ、メジャーで公開されるかどうかは、微妙ですね。だけどイチャンドン監督だし、映画祭などでの上映の可能性はかなり高いと思います(まぁ、何時になるのかはわからないけど)。

チョンドヨンが出色かというと、それは疑問。ただ、この人がとてつもなく演技が上手な女優さんだということはわかる。一方、ソンガンホはいいねぇ。今回は主体性っちゅうもんがまるでないオヤジ。重苦しいこのお話しの中でなくてはならないアクセントになっています。肩の力がほど良く抜けたお芝居を見せてくれます。名前は知らないけど幼稚園(?)の校長と薬局のオヤジには今後も注目して行きたいです。
また、映画中でちょっと理解できなかったんだけど幼稚園の校長の娘って、いったい何だったんだろう? エンディングと共に余韻を残していて、ひょっとしたら次回作への布石なのかとも思ってしまいますね。

ちょっと取りとめの無い文章になってしまったけど、実際に取りとめの無い難しいお話しなんです。
映画の中で何度か繰り返される「密陽は秘密の密に太陽の陽」という表現。これがこの映画のテーマだったのかと妙に心に引っかかる。

おしまい。