善き人のためのソナタ

コードネームは“HGW XX/7”



  

「土足で家に上がりこまれる」という表現があるけれど、この言葉だけでは足りない。「素手で心臓を鷲掴みにされる」という方が適切かもしれない(それでもまだ足りないかもしれないけどね)。“盗聴”という行為は。
何も劇的であったり、手に汗握るアクションが展開されるわけではない。だけど、じんわりと心が揺すぶられるようなお話しだった。

もちろん、お話しがいいのに決まっている。
でも、実は一見冴えないオヤジにしか見えない男が実にいいのだ。「オヤジ」なんて表現すると怒られそうだ、れっきとした党の情報担当将校。“HGW XX/7”というコードネームを持つヴィースラー大尉(ウルリッヒ・ミューエ)なんだから。
“HGW XX/7”を取り巻く人物たちも魅力的だ。新進気鋭(の割には歳喰ってるけど)の演出家、彼と同棲している女優、幼馴染にして上官、失意のどん底にいて廃人のようになってしまった先輩、権力を笠に来た吝嗇家の大臣、ゲーム感覚で仕事をこなしている部下、恫喝されて何も言えない隣家の主婦...。魅力的という表現は良くないかもしれない、何とも言えず絶妙な按配で配置されている。

ものを知っているか、知らないか。その差は大きいのだと思った。すなわち、情報が遮断された社会の中において生活していると、それが当たり前だと信じて疑うことを知らない。答えは一つしかないのだと教え込まれている。それは恐ろしいことだと、冒頭の授業のシーンが象徴している。
もちろん個人一人ひとりが悪かったわけではない。体制が問題だった。でも、その体制を支えていたのは個々の人間であったのも事実。
では、その体制の中で個人がどのような行動を取ったのか、そしてそんな一つひとつの行動が“壁の崩壊”という結果に収束して行ったのか...。

ボクたちはなんと恵まれた環境の中で自由を謳歌しているのだろう。もちろん知らないこことや、知らされていないこともたくさんあるだろう。でも、少なくとも、隣人に疑いの眼差しを向けたり、隣の席でコーヒーを飲んでいる男に注意を払う必要はない。ギスギスした神経戦を職場で繰り広げるだけでも疲労困憊なのに、24時間衆人環視のもとで生活するのは、耐えられないを通り越しているだろう(しかし、その証拠に東ドイツでは、いかに自殺者が多いのかというデータを西側にリークされ、その犯人探しに血眼になるとは...)。

上手く表現できないけど、台詞に頼らない心理描写がいい(もちろん役者がいいこともあるけど)。
言葉で伝わるもの、言葉でなければ伝わらないこともあるのは確かだ。でも、言葉にした途端にウソっぽくなったり、薄っぺらなものになってしまうことだってたくさんある。この映画を通じて製作者が観客に伝えたかったこと。実は、言葉はオールマイティではないということだったのかもしれないな。
ヒロインの女優さん役にはマルティナ・ゲデック。いいなぁと思って調べてみると「マーサの幸せレシピ」の主演の女シェフ(この映画もいいですよ!)。あのお話しの中では、もっとごっつい人というイメージだったけど今回はもっともっと繊細なお芝居を見せてくれています。上手く歳を取ってるなぁ...。

家に帰ってからパソコンを前にして「善き人のためのソナタ」という曲を検索した。でも、ヒットしなかったんだけど、本当にこんなタイトルの曲が存在するのかな。知りたい。それに、この映画のタイトル。上手いな、実に。

多くを語らないけれど、多くを考えさせてくれるラストがまたいい。

すんません。
ご紹介が遅れてメジャーな劇場での公開はとっくに終了しています。でも、MOVIX堺と宝塚のシネ・ピピアではこれからの上映が予定されているようなので、チャンスをお見逃しなく!
アカデミー賞の外国語映画賞受賞作。ボクは賞レースにはとんと興味がないけれど、アカデミー賞の外国語映画賞だけは、受賞作だけではなくノミネート作も含めて、密かに楽しみにしています。ほとんどハズレがない粒ぞろいです、はい。
大人向きのお話し。そして、ある意味観る人を選ぶ作品ですね。オススメです。

おしまい。