力道山

哀しい男だ



  

日本人だから、朝鮮人だから。そんなことに関係なくリキさんは哀しい男だ。

バネは差別にあったのは間違いない。横綱になることを夢見て、陰湿なイジメにも耐え抜いてきた。やりすぎとも思えるアピールもした。しかし、大関の地位を目前にしながら差別の前にチャンスすら与えられなかった。今ならきっと少しは違うのだろうけれど、当時の相撲協会なら相撲の実力以前に国籍の壁は厚かったのだろう、想像に難くない。
もっとも、相撲の昇進ほどあやふやで明文化されていないものもない。一体、品格とは何なのか、それはきっと日本人以外には理解できないのだろうな。だから、三役(関脇)で何勝したら大関に上がれるのか、大関になったらなったで、何勝すれば横綱に昇進できるのか。それに運やタイミングなど不確定な要素が入り込むことが(きっと)理解できない。まぁ、それはともかく。

リキさんは相撲協会を飛び出し、ふと出会ったプロレスの世界に飛び込む。
第二次大戦で米国を相手のコテンパンにやられ、プライドも何もかも粉々に砕かれた日本が、プロレスというリングの中で、反則技を繰り返すアメリカ人コンビを正義の味方かのようにやっつける。そして、テレビという映像を垂れ流すメディアの登場も相まって一躍時代のヒーローに成り上がっていく...。

が、そこで手にしたものはリキさんにとって幸せと呼んでいいものだったのかは不明。すなわち、リキさんは一体何を追い求めていたのか。それは「世界最強の男」という称号だったのか。それとも心の拠り所であったのか? それがボクのような凡人にはピンとは来なかった。間違いないのは、リキさんが欲しかったのは称号ではなくプライドであり、また常に安穏や安住ではなく、改革や変化を求めていたこと。
それを周囲は最後まで理解出来なかったのではないか。そこにある幸せや、手が届くところにある地位や金銭にリキさんは興味がなかった。その常軌を逸したかのようなリキさんの探求、それは理解の範疇を超えていた。さらに云うと、リキさんは自らを神格化することによってのみ安住の場所を見つけられると信じていたのではないか...。
その想いが間違っているとまでは言わないけれど、どこかで折り合いを付けるべきだと誰かの口から言わせるべきだった。そうすれば、リキさんはもう少し違う道を歩めたのかもしれない...。そういう誰かがいなかったがためにリキさんは哀しい男として記憶される歴史上のヒーローになってしまった。

ずっと観たかったのに、何故かチャンスが巡って来なかった。韓国版のDVDは持っているけど、小さいモニターではこの作品を観たくはなかった。
それが、ひょんなことに今まで何度かお邪魔した「にしのみやアジア映画祭」で上映されることを知る。JR西宮駅前にあるフレンテホールは今までになく盛況。こんなに多くの人がこのホールに入っているのははじめて。

ボクは、同じ題材を同じキャストで日本の監督が撮れば、一体どんな作品になるのであろうかと、そんな妙なことを考えてしまった。当時日本中を熱狂の嵐に巻き込んだリキさん。出自がどうであるのかではなく、どう描くのかに興味がある。

そして、改めてソルギョングの凄さと素晴らしさに感嘆する。
この人、実にいい作品を選んでいるな。いつまでも輝き続ける特異な能力が備わっているんだ。
また、中谷美紀、藤竜也そして萩原聖人という脇を固めるキャストもいい。
綾(中谷美紀)のような女性が本当に存在していたのか、そして彼女とリキさんとの関係が理想的なのかは別として、ある意味控え目で影で支えながらも、我を主張せずそっと身を引いてしまう、まるで絵に描いたような存在を上手く演じている。藤竜也のフィクサーぶりも驚く。いかにもいそうな感じ(ボクも昆布を噛んでみようかな)。この人、もう少し背中が厚ければ、また違った役者さんになっていただろう。萩原聖人はすっかり力みが抜けて、イイ味を出せる役者さんになりましたね。

全ての人にオススメできるお話しではないと思いますが、ソルギョングという俳優に出会うのにはもってこいの作品だと思います。

おしまい。