チャーミング・ガール

主観なのに傍観



  

今はどんどん世界が変わる。そんな変化の中で今回は“インターネット試写会”というものを催すという。面白そうなので、申し込んでみたら“当選”した。インターネットのストリーミングで一本の作品を視聴出来るなんて、ほんと世の中どんどん変わっている。

一言で表現するなら静かな映画。
韓国の人たちは、激高しやすく、とにかく自己主張をすると思いがちだけど、そうでもないんだな。チョンヘのように、自分の思いを声高に叫ばない女の人もいるんだ。ただ、叫ぶか叫ばないかは表現の違いであって、彼女が単に大人しいわけではないこともはっきりしている。彼女も割りと思い切った、ある意味極端な行動をする女(ひと)であることがわかる。

もうすぐ三十路を迎えようとしているチョンヘ。
街角の郵便局に勤めている。大きな集配局ではなくて、局長の他には3人のスタッフがいるだけの小さな郵便局。この小さな世界でチョンヘは乾燥した生活を淡々と送っている。口数も少なく、感情を交えることなく仕事をこなし、家と郵便局との往復。それでも、同僚に誘われれば飲みに行くこともある。ただ、もっぱら聞き役。
家に帰っても誰が待っているわけでもなく、使わない部屋のドアを開けると、そこにいた母の思い出に浸る。ベッドで眠るのも面倒になり、TVの前の長椅子で寝入ってしまう(その割には入念に目覚まし時計をセットするんだけど)。 そんな彼女に幾つかの転機が訪れる...。

現在と過去の映像が幾重にも重なって織り交ぜながら物語りが語られる。語られるのはもちろん、チョンヘそのもの。
今、どうして彼女がここにいて独りで生活しているのか、そして今からチョンヘがどこに向かって歩いていこうとしているのか。まるで彼女の口から聞かされているように、淡々と客観的な映像が展開される。
主観があるはずなのに、目に入ってくるのはまるで傍観者の映像だ。感情が織り交ぜられず、事実だけが、うず高く積み上げられていく。
こうして、ボクはチョンヘを知ることになる。
だけど、ボクにはこれからのチョンヘはわからない。

ナイフの妖しさ。
あのネコはどこへ行ってしまったのか。
そして、あの作家とはどうなるのか?

チョンヘは「ロマンス」に出ていたキムジス。TVドラマでも何度か見たことがある。綺麗な方だけど、派手さやかわいさとは対極にあり、どこか影がある役が似合う方ですね。それは先入観から来ているのか、実際にそういう方なのかはよくわからないけど。
台詞があるような登場人物は多くない。作家はこのところめきめきと出番が増えている(?)ファンジョンミン。おじさんにイデヨン。

コメディでもなく、ミステリーでもない。独りの女性の細やかな心の機微を言葉少なに表現したドラマ。観る人を選ぶ映画だと思います。
9月に東京・渋谷のイメージフォーラムでロードショー公開。それを知って、いかにもイメージフォーラムで上映されそうな作品だと思いました。
関西でも時期は未定ですが、どこかで公開されると思います。劇場はヌーヴォかナナゲイかなぁ?

おしまい。