フラガール

がっぷり寄り切り、あえなく三振です。



  

例によって、予告編(しずちゃんが、黙ってクネクネ踊って(?)いるだけのやつ)だけは随分と前から目にしていた。でも、出来るだけ前情報は仕入れないようにしていた。そのせいか、実はスコンと三振を取られた割には、一球目と二球目の間に大きな戸惑いがあったのも確かなのだ。

最近、すっかり涙腺が弱くなっている。小説を読んではポロリ、映画を観ていてもポロリ。普段のボクを知っている人には信じられないかもしれないけど、年月を経てすっかり涙もろくなっている(まぁ、JリーグのTV中継を見ながら涙ぐんでしまうほどだからね)。
今回、涙ぐむどころではなかった。最後の1/4ほどは流れる涙がボクの頬を濡らしっぱなし。声こそ出さないもののほとんど号泣状態。ここまで泣かされるのも珍しい。お話しは、ストレートの直球勝負。ズバーンっとど真ん中のストライクコースを突いてくる。
調和の中でストレートでグイグイ押される。ツーストライクを取られてから、走り始めた汽車がホームの端までにブレーキが掛かり停まったときに三振を覚悟する。

田舎の女子高生。バス停に掲示されているポスターに見入っている。そこには「ダンサー募集」と書かれていた...。
時は、エネルギー革命の真っ最中。日本の各地にあった炭鉱(石炭の鉱山)が、この革命によって閉山を視野に入れながら操業を続けていた。茨城県にある常磐炭鉱もそれは同じ。会社は、湧出する豊富な温泉を利用して今で云うスパリゾート(昔風に云うと“ヘルスセンター”もう死語ですが)を立ち上げ、生き残りを模索していた。
そのコンセプト合致した手法として、スパリゾートのステージでフラダンスのショーを見せることを考えていた。何しろ、この施設の名称は「常盤ハワイアンセンター」なんだから。ハワイと云えばフラダンスでしょ。
そして、そのダンサーは最初からプロを起用するのではなく、炭鉱夫の娘達を育てたいと考えていた...。

幾ら何でも、ボクだってこの「ハワイアンセンター」のことは知っている。だから、このお話しは、その初代のダンサーたちの物語だと勝手に思い込んでいた(予告編もそんな感じだったしね)。娘たちの一人が蒼井優(「花とアリス」ではバレエを披露していた)なんだから、誰でも彼女が主役だと思ってしまうでしょ...。
何しろ、養成所に志願してきた娘たち、フラダンスか何かを理解していないどころか、ダンス、踊りとして身近なのは盆踊りであって、それさえ“基本は同じだべ”と思っていたのだから...。
ダンサー養成の責任者役の岸辺一徳。彼がどういうツテで呼び寄せたのか、そんな娘たちの先生として東京のSKDから招いた先生は...。

いや。断言する。この物語りの主人公が誰だっていいじゃない!
このお話しに登場する一人ひとりそれぞれに物語りがあり、その物語りにおいて全員が主人公を演じている。それが表面に出るか出ないかだけ。生きていく上では、誰もが多かれ少なかれ問題を抱えているものだ。人生全てが順風万帆なんてことはあり得ない。そんな問題を抱えながら、その問題を克服し、乗り越えたり、ほったらかしにしたり、かわしたりしながら生きている。そんな一人ひとりが集まって、一つの目的に向かって団結し、集中して向かっていく姿はひたすらに美しい。

役者がいい。ボクの贔屓の蒼井優はもちろん。富司純子、豊川悦司、そして夕張へ行く少女(徳永えり)、椰子の木を守る植物係のお兄ちゃん(三宅弘城)...。そして、投げやりなくせに妙に情に厚い松雪泰子。
勘当(?)した娘に届いた小包を届けに初めて養成所を訪ねた母親が目にした娘。それは自分が知っている娘ではなかった。母は一言も交さないけれど全てを許す。一言もセリフがないのに、その二人のシーンが美しい。
公演の初日。その娘のダンスを見つめる母親の視線。不安でありながら、嬉しさが宿り、まぶしさが交錯する。ここでも富司純子は一言もしゃべらずに表情だけで演技する。美しく素晴らしい。信じられないほど芝居が上手い!

何んだかんだと云うのはカンタンだけど、この映画は正攻法でグイグイ押して、そのまま寄り切る。だから、まだ観ていない人は、観ること。そして、泣く泣かないは自由だけど、思いっきり感動してください。間違いなくオススメ。安心してご覧くださいな(ハンカチを用意した方がいいと思うけど)。

おしまい