百年恋歌

素晴らしいのに、退屈で眠い



  

面白い手法。三つのパーツに綺麗に分かれているのだけど、いずれもチャンチェンとスーチーの二人が主人公を演じている。そして、舞台は台湾。
1911年、1966年そして2005年を舞台にして恋愛小説が描かれる。その内容も手法も斬新。
しかし、ボクは力尽きてしまった...。

スーチーもチャンチェンも、二人とも素晴らしく上手いし、芝居をつけている(演出している)ホウシャオシエンも冴えわたっている。
スーチーは今やコンリーと並ぶ中華圏の名優としての地位を確立したと思う(凄いね!)。チャンチェン(どんどん髪の毛が少なくなってるのが気に掛かるけど)だって、随分貫禄が付いて、すっかりトップスタアだ。
それにしても、キレ味という点ではどうだったのだろう。どうやら、時間を贅沢に使いすぎたのではないだろうか。三話を足して131分の作品を構成するのなら、一層のこと、各々を80分ほどの独立した作品として、連作とすれば良かったのではないだろうか...。

とにかく、問題なくいいのは一話目の1966年のパート「恋愛の夢」。
説明されない背景がいい感じ。とある街角の撞球場(ビリヤード・ホール)。当時、このようなホールには、お客としてやって来る若い男性の相手をする若い女性が雇われていたようですね。そして、そんな女性たちは一つのホールにとどまることなく、ホールからホールへ渡り歩いていた(みたい)。
会話は少ない。いや、直接的な会話は、ない。
このお話しの凄いところは、“予感”と“余韻”でほとんど全てが語られていることだと思う。腫れた惚れただけが恋愛の全てではない、そんなことをそっと教えてくれる。その演じ方、描き方は流石だと思う。ボクは、まさか自分の恋だとは思わないけれど、まるで夢を見ているような気分だった。そして二人の恋の行方に心がときめいた。
本当は、このパートだけの方が良かったのかもしれない...。

二つ目のパート「自由の恋」の舞台は1911年。日本だと大正時代。何が斬新かと言って、やっぱりこのパート。実はサイレントで撮られている。いや、台詞以外の音はあったような気がするから、台詞だけがまるで吹き出しのように画面上に文字が現れる。
確かに、目を見張る手法だけど、起伏に乏しいこのお話しの中でこの手法が成功していたかどうかは、疑問。サイレントという手法に酔ってしまい、物語りの繊細な機微が伝わってこなかったような気がした。
しかし、衣装もセットも目を見張るほどいい。大正時代の台湾って、本当はどんな世界だったのだろう。行ってみたくなる。

この順番で来ると、最も割を喰ってしまうのが三話目「青年の夢」。
しかし、ボクは気を失ったままになっている時間があったので、ここのパートを評価するのは難しい。

美しく繊細なのは確かだし、上品な夢も見せてくれる。でも、どこか喰い足らないというか、退屈な部分があるのも確かです。前日に充分な睡眠を取っていたとしても、何故か睡魔に襲われるのは確実(?)。
年が明けてから関西での上映もあるようなので、中華迷の方は是非どうぞ!
ボクが拝見した銀座のシネスイッチ。思っていたよりも多くのお客さんで、少しびっくりしました。

おしまい。