楽日

この映画はカラーだったのか、字幕付きだったのか...。



  

この映画を観た頃(06年9月)の渋谷や新宿、台湾の作品の上映が多かった。
この「楽日」、どんなお話しなのか詳しくは知らなかったけど、何か本で読んだか、雑誌で読んだかしていた。台北の古い映画館とそれを取り巻く幾つかのエピソードで紡がれるお話しだと。
映画館が無くなるのは淋しい。それも、シネコンではなく、数百人は入れるような大きな箱のスクリーンがなくなるのは、その空間が大きいからだけではなく、そこに詰め込まれている大勢の夢が跡形もなく取り壊されてしまうのが淋しいのか。
昨年に観た「カーテンコール」のようなべたっとした物語りではなく、からっとしている。実は今こうして思い出してみると、この「楽日」本当に日本語の字幕が付いていたのだろうかとさえ...。物語りを楽しむというよりは、感覚で観る作品だ。でも、決して楽しいとか面白いとか、そんなお話ではないけれど...。

雨、それも豪雨の夜。台北の古い映画館「福和大戯院」。今夜限りで閉鎖されてしまうというのに、この雨。特別な興行ではなく、普段着のままで楽日を迎えている。
恐らく700〜1,000名は座れる大きな劇場。かつて映画が娯楽の中心であった頃は連日連夜のごとく満席で、人出で賑わい、笑い声や歓声がこだましていたのに違いない。それなのに、今となっては誰にも思い出してさえもらえない。雨の楽日、そして最終回。座席に座っているのは、ほんの数名にしか過ぎない。

様々な思いが交錯するのではない、淡々とフィルムは回る。
そうか、映画館はスクリーンと座席だけがあるのではなかったんだ。最終回が始まってしまえば切符売りももぎりももうお役御免。足の悪い女は窓口を閉め、足を引きずりながらトイレを掃除する。この映画館に迷い込んできた日本人の男、ちっとも座席に座っていないで、この映画館の中を彷徨い歩く。なんだか、天六の映画館(ホクテンザとかね)が頭の中を行き来する。
映画館、確かに映画を上映する場所なんだけど、それだけで全てではなかったのか。

この映画、カラーだったんだろうか? 今、ボクのアタマの中で再生される画面はモノクロのような気がしてならない。

老人が孫の手を引いてやってくる。すると近くの座席にはもう一人の老人がいて、互いに顔を見合わせて会釈をする。(今、スクリーンで上映されている古い作品の主演だそうだが、観ているボクにはわからない。)

やがて古いカンフー映画「血闘竜門の宿」は終わる。全てが終わる。
足の悪い女は雨の中、傘を片手にキャリングケースを引っ張りながら映画館を後にし、映写技師の男はシャッターを閉め、そして炊飯器のような蒸し器を片手にして単車を引っ張り出す。
日常の延長のまま、楽日は終わってしまう。もう明日はないのに、明日があるように終わってしまうのが哀しく切ない。

誰にでも面白かったり、興味深かったりする作品ではないと思う。ボク自身も半信半疑のままだ。映画が大衆のものではなくなってしまい、映画が特別なものではなくなっている今日。この映画の本当の主人公である「福和大戯院」の気持ちがわかったかどうかは...。
ただ、幾多の台詞や単語の羅列よりも、強烈に印象を残してくれるのも確か。
映画。その末端の映画館は、いうなれば巨大な装置産業。その装置が莫大な利益を生み出さなくなってしまえば、衰退していくしかないのだなぁ...。

おしまい