ゆれる

ゆらゆらと...



  

か〜っ、なんとも表現しにくい映画。
心の深層をえぐられるような...。正視に堪えない。

問題提議としては秀逸なのだろうけれど、人間の気持ちとは何とも窺い知れないもの、観終わって、はふ〜っと大きくため息をひとつ。観なければ良かった、知らなければ良かったとさえ思ってしまう。でも、こういう時、こういうテーマだからこそ、普段は目をそむけたくなるようなこんなお話しを食入るように観るのでしょう。
インパクトはあります。それに主演の二人、香川照之、オダギリジョー、怪演です。

人間って猛(オダギリジョー)に限らず、誰だっていい加減なところがある。要領をかまして、面倒くさいことや手のかかることからは上手く逃げ出して、楽しいことやラクなことばかりして生きていたいと思うもの。
だけど、それだけでいいのか?

そんな当たり前のことを教えてくれる。

これが、自分が直接手をくだしたのだったら、どれだけラクだったのだろう。
これが、稔(香川照之)から偽証してくれと頼まれたのなら、どれだけラクだったか。

心の揺れを表現する言葉や台詞はない。最後まで、兄・稔から非難めいた言葉もない。そこには、ただ空気だけが、濃密にそれでいて空疎に漂っている。ボクはこの空気の中で、酸欠で口をパクパクさせながらスクリーンをみつめているだけ。

ボク自身は稔か猛かと問われると、猛タイプなんだろう、きっと。
冷蔵庫のドアを開けっ放しにして、どでかいアメ車で出かけて行く方かもしれない。父親と二人で大きな家に住み、取り込んだ洗濯物を正座しては畳めはしない、きっと。

兄弟とはどんなものなのかを考えさせられた。ボクは上に姉が二人いるだけで、男の兄弟はいない。兄や弟は憧れのようでいて、それでいてちょっと怖いような存在だ。同性であるがゆえに常に比較されただろう、きっと。
姉はとうの昔に嫁いでしまったけれど、子供の頃はそれなりに濃密な時間を共有していた。それなにの、今は年に数度顔を合わせるだけで、お互いに全く違う人生を歩んでいる。それが当然なんだけど、それでもなお、何かがあれば、切っても切れない関係なのだろう。その“何か”が問題、なんだろうな、きっと。
怒鳴りあったり、取っ組み合いをしたり、殴りあったり出来れば、何も問題はなかった。なのに、そうしない、そうならない。兄弟ってきっとそんなものなんだろう。
そう言えば、蟹江敬三と伊武雅刀も兄弟という設定。なんとも見事に伏線が張り巡らせてある。

ガソリンスタンドのお兄ちゃん役の新井浩文、検察官役の木村祐一、そして智恵子役の真木よう子。いずれも出色の出来。特に真木よう子、若いのにどこか垢抜けず、それでいて地方の臭いがしみついた智恵子を本当に上手に演じていました。

しかし、この作品は上手い。唸ります。
原作もないようだし、どうやったらこんなお話しを頭の中でひねり出せるのでしょう。ある種の天才なのでしょね、きっと。 決して後味が良いお話しではないけれど、思わず誰かにすすめたくなる。
映画ファンなら必見なのではないでしょうか(その割には、お盆に観て、10月も随分過ぎてから紹介するようではアカンね)。

おしまい