天上の恋人

キティちゃんの哀しさ



  

大陸の作品は北京や上海などの舞台に繰り広げられる都会的な作品か、人跡未踏(!)の山中に位置する寒村での牧歌的なお話しか、そのどちらかに大別できるけれど、どんな田舎にも都会的なものは押し寄せて来るものなんだなぁ。この両者の境界線があやふやになっている。
その象徴が、重要な役回りの女性が着ていたワンピースの生地にプリントされているキティちゃんだと言ったら叱られるだろうか...。

山また山、どこまで行っても、どちらの方角を見ても、そこにあるのは山だけ。そんな寒村で繰り広げられるファンタジー。
ある意味リアリティに富み、そしてあくまでもこのストーリーは寓話なのだと思わずにはいられない。

ある日、山の中の畑に赤い、真っ赤な気球が舞い降りてくる。その風船とともにどこからともなくこの村に辿り着いた口の利けない少女・玉珍(ユイチェン、ドンジェ)。彼女は何故かそのままこの何もない山の上にある集落にとどまり、目の見えない父親と暮らす耳の聞こえない家寛(ジァクアン、リィウイェ)が住む家に逗留する。奇妙な生活が始まる。
ただ、こんなに小さい部落でも様々な人間関係があり、複雑な構造になっている。その辺りが丹念に、繊細に、そして大胆に描かれている。若い男から人気の的になっている朱霊(ジューレイ、キティちゃんの女)、彼女は過去に何かあったようだし、街からやって来てこの街に暮らす獣医と恋仲。獣医は朱霊に気がありながら、姉に反対されその思いにもどかしさを感じている。もちろん、家寛は朱霊に夢中だ。
そして、風船と一緒にやって来た玉珍は...。

出てくる人、出てくる人、どの人も純真でキラ星のように輝いて、まぶしい。ただ、純真であるがゆえに、その行為がまどろっこしくて、すれっからしのボクにはなんとも辛気臭い。
ただ、都会の人ごみの中で生活するボクがとうの昔に失ってしまったものを、彼らは持っているのは確か。「あぁそうか、人間ってそうだったんだ」なんて思ってしまう。ゆったりと時間が流れ、自然の摂理を大切にして日々を、そして年月を暮らしていたんだ。そんな当たり前だけど忘れていたことを思い出させてくれた。

山また山、こんな田舎では人の意思なんて、その悠久の自然の営みの前では無に等しかったりするわけだけど、それでも、生きている今を大切にして生きたい。そんな大それたことさえ思ってしまう。
このお話しを「教育テレビの番組みたい」と受け取るもよし。それとも「ある意味、人間の存在を描いた寓話」と解釈するのもよし。何も難しく考えずに、そのときのご自身の気持ちのまま、ゆったりとご覧になるのがいいのではないでしょうか。

それにしても、久しぶりにお顔を拝見するドンジェ。相変わらずの可憐なはかない美しさだけど、かつての大陸の女優さんそのままに、妙な硬さや青さを感じる。すなわち、いつまで経ってもこの人成熟した女性としての魅力には、本当に乏しいのが、貴重なようで、それでいて惜しいような...。
一方、すっかり売れっ子のリィウイェ。都会的な役回りより「山の郵便配達」を連想させる今回のような役が似合っている。実にいい味出してます、はい。

もう随分前に拝見したので具体的な人数は忘れてしまったけど、この日のシネマート、随分と淋しい入りでした。やっぱり、大陸の作品でも地味な題材のものはあかんねんなぁ、残念やけど。
とうの昔に上映は終了しています。何かでチャンスがおありなら、ご覧になられてもいいのかもしれません。まずまずだと思います。

再見!