クラッシュ

これぞ映画



  

ストリーを織成すタペストリー。
ほころびも見られて、ジグソーパズルを組み立てるようにピタリとはいかないけれど、何とも上手い。素直に“いい映画を観せてもらったな”と思った。一年を通じてこう思ういながらスクリーンを後にすることは、実はそんなに多くない。

都市というものは、実にいろんな人生が幾重にも交錯し折り重なっているものなんだな。一つの出来事が連鎖を呼び、点として存在していた個人が線でつながりはじめる。いささか強引かと思わないでもないけど、表現方法としてはムチャクチャ上手い。得難いストーリーテラーを得て、観客はその世界にどっぷりとはまりこんでしまう。

もし、これがお互いが顔見知りかもしれない小さな町が舞台だったら、このお話しは成り立っていないかもしれない。お互いがお互いを個人として認識できない、他人同士の巨大な集合体。それこそが都市の淋しさでもあり、魅力でもあるわけなのか。
誰もが悪意を持って他人に接するわけではない、それぞれが持つ世界観の中で生きているんだな。しかし、そこに厳然としてあるのはその国(この場合は米国)が持つ社会通念というか観念というか...。また、法律や司法がいかに恣意的なものなのかすら巧に見せてくれる。

刑事、制服警官、TVディレクター、自動車泥棒、検事とその妻、雑貨屋の主人、病院の受付、死体安置所の係員、鍵屋の作業員、跳ね飛ばされる中国人のおやじ...。
描かれる人たちは、もちろん仕事もしている、しかし、それだけではなくこの街で生きている。人間臭く生きている。生きていくことはいろんな意味で命がけなのだ。それが社会というものか、それが都会で生きることの意味なのか。都市の陰影が鮮やかに切り取られている。

ハッピーエンドたりえない。
それが社会の、都会で棲息することの複雑さなのだろうか。
社会における差別感、区別感、街を構成する階層。お金を持っているのか、それとも肌の色や人種によるものなのか。
スクリーンを観ながら思った。ボクは、ボクが棲息しているこの社会の中で、一体どこにいて、どこに属しているのだろう、と。この映画の凄いところは、単に告発ではないということかもしれない。まるで、共犯者のような気分にさせられる。
ラスト近くに出てくるアジア系の難民。彼等を中華街で解放するのが黒人の青年であるところが、何かを象徴しているような気がしてならなかった。

どこかで見たことがあるとぼんやり考えていたら「ホテル・ルワンダ」の支配人ポールが、一種狂言回しのような位置付けで好演。この人、今後バケルかもしれない。
その他にも存在感がある人が多く。味濃い演技でただただ魅せられる。全く別の人が演じているのにも関わらず、全ての人が“自分の分身”のような気がする。

この作品、ある意味面白い作品ではない。だけどとってもいい作品。
ボクはようやくリバイバルで拝見することが出来ました。「観逃さなくてよかった〜」これが、正直な感想。
まだご覧になっていない方は、是非! 二重丸のオススメです。

おしまい。