雪に願うこと

迷ってばかしだ



  

もう何年前になるのだろう。
北海道をレンタカーで旅をしていて、ばんえい競馬を見に岩見沢競馬場へお邪魔したことがあった。確か、岩見沢は平地のレースの開催はなく、ばんえい専用のコースだったように記憶しているけど、これは思い過ごしかもしれない。
ばんえいは、平地のようにスマートなサラブレッド(軽半血種)が駆けるのではなく、ペルシュロンやブルトンといったごっつい馬たち(重血種)が時には1トン以上の橇を曳いてその速さを競うレース。コースには二つの障害物(丘)が設置されている。スタートからゴールまではわずか200メートルで、走破タイムはおよそ2分から3分(時速に直すと6〜9km/h)。だから、観客はスタートからゴールまで、声援(罵声?)をかけながら歩いてついていくのだ。
ボクは数レース投票して、かすりもしなかった。その難しさに舌を巻いた。最も印象に残っているのが、パドックで最後の周回を鞍も付けずにジョッキがーを背にして歩くこと...。

それはともかく、むちゃくちゃご飯が食べたくなる映画。
それも、どんぶり飯を無我夢中で掻きこむような勢いで!
厩舎にある調教師の居室が厩舎の食堂も兼ねていて、賄いさん(小泉今日子)が準備する朝食をみんなで集まって食べる。大皿に盛られた料理が食卓に所狭しと並び、ボウルに山積みの卵に、パック入りの納豆、牛乳の紙パック...。ご飯も味噌汁もどんぶり。
大将(佐藤浩市・調教師)を囲んで、タオルをねじり鉢巻にした厩務員がワサワサとその飯を食う姿は、それだけで楽しそう。まるで毎日が合宿のような共同生活。「同じ釜の飯を食う」という表現がぴったり。
あゝ、ボクもあの場所で一緒に朝ご飯を食べたい。そうしたら、学生時代のような輝きを取り戻せるかもしれない(ムリだとはわかっているけど)。

東京の一流大学を出て、事業を始めたが失敗。妻も友人も無くし、一文無しになった学(伊勢谷裕介)は、ばんえい開催中の帯広競馬場にやって来る。北海道が“反吐が出るほど”嫌だったのに。
それは、帯広にいる母親にすがりつきたかったのか、それとももう何年も音信が途絶えていた兄を頼ってのことだったのか...。

兄弟とか親子とか、そんな血のつながりって何なんだろう。一緒に暮らしていれば家族はそのまま家族だけれど、一緒に暮らしていなくても血がつながっていれば、それは家族なんだろうか?
そんな、当たり前のようなことだけど、人の考え方や時代の流れによって微妙に変化していく関係を、それとな〜く、そっとあぶり出したようなお話し。
ひょっとしたら、50年前に生活している人に、このお話しのプロットを読ませれば、この矢崎兄弟、親子の関係は理解できないかもしれないなぁ。

舞台のほとんどは帯広の厩舎なのに、見事なくらい“ばんえい色”は希薄。ウンリュウにももう少し活躍してもらいたかったし、厩舎にとってレースに勝つことがどれほど嬉しいことなのかも描いてもらいたかったような気がした。
原作になかった女性ジョッキーのエピソードとその役を演じた吹石一枝には違和感を覚えたけれど、二人が行った鉄道の廃線跡。あそこはどこかなぁ、行ってみたい。
まぁ、それはともかく「空中庭園」は拝見していないので、ボクにとって久々に出会う小泉今日子。ボクの奥底に記憶していた彼女とは違っていたけれど、“上手に年を喰ったな”とも思った。彼女がこんな役を演じられるようになったのは正直言って意外で、驚いた。
原作を読んでからキャスティングを知り、この賄いさんを小泉今日子が演じるなんて、とても信じられなかったのだけれど...。この映画を観て、彼女にはまだまだ活躍の場があるなと思った。

なんだかオマケみたいな書き方になってしまうけど、佐藤浩市がいいのね。とっても。
こんな大柄な競馬関係者はいない(ばんえいにはいるのかな?)とは思うけど、とにかく、この佐藤浩市がいなければ、この映画は成り立っていないかもしれない。言葉よりも先に手が出る(殴る)大将になりきっている。「迷ってばかしだ」の台詞には、正直しびれた!

紹介するのが遅くなり、もうどこでも上映は終わっているかもしれませんが。心が温かくなる佳作。
どこかでリバイバルされることがあれば、是非!

おしまい。