家の鍵

人とは親子とは...



  

どう表現していいのかわからない。ストーリーがあってない。まるでドキュメンタリーを見ているような、そしてかなりの集中力を必要とする映画だ。
前振りも前置きもなく、いきなりずばっと本題から入る。だから、この映画を観る前には、だいたいどんな話しなのか粗筋くらいは知っておいた方がいいかもしれない。ボクは全く知らずに拝見したので、冒頭の20分ほどがあまり理解できなかった...。
でも、観終わって、観ている途中でじわじわと“そうやったんか”と静かに納得していくのもいいかもしれない...。

イタリア北部の街からベルリンに向かう列車が発車しようとしている。その夜行列車に一人の男が乗り込むところからこのフィルムは始まる。
この男が指定されたコンパートメントのベッドには少年が一人横たわっていた。疲れ果てた男は悩みを抱えた様子で傍らのシートに腰掛けてそのまま眠ってしまう。旅のスタートに対する期待感や高揚感は微塵もない。この男と少年は...。
翌朝、まだ走っている車内で男は目を覚ます。うろたえる。ベッドは空になってそこにいたはずの少年の姿がない。
やがて、二人の関係と置かれている状況がわずかずつ明らかになっていく。二人の過去と現在が。

重い。でも、重たさだけでは人間は生きては行けない。重さに耐えるだけではなく、どうにかしてその重しをはねのけるファイトやチャレンジ、そして笑いや、愛や、温かさも生きていくのは必要なこと。
人を愛するということは、片方がもう片方を思うだけでは成り立たないものなんだな。双方の思いが一方通行から、思いが行き来するようになって、初めてその思いは通じて愛となる。そのためには時間やきっかけが必要だ。一方通行のままでは愛ではなく、そこにあるのは憧れにしか過ぎない。
時を経て、悔い改め、一方的に思いを寄せる男。この男の思いは、憧れだけに終わらずに愛にまで昇華されるのだろうか? 子供の胸のうちや心象風景は一切描写されないのがこの映画の上手さだと思った。

ベルリンの街を飛び出してから、俄然とお話しは動き出す。

しかし、救いがあるのかないのか。人生って何かな。そして、ちびっと宗教くさいけど、人間の罪って何かなと思ってしまう。
いや、そんな難しく考えなくても、生きていくとは何とも困難を伴うことであり、子を育てるのも大変なことなんだ。中途半端なことではなく、それこそ全身全霊を傾けてぶつかっていかないといけないんだな、口先やその場限りの言葉では駄目なんだ。

愛があって、家族がある。家族が住むには家がり、家庭が生まれる。そひて一つの家庭であるためには鍵が必要なのか。オリジナルのタイトルもそうなのかは知らないけど、「家の鍵」とは何とも意味深で上手いタイトル。

冒頭、主人公に駅のプラットフォームで話しをする男。もし、間違っていなければ著名な俳優さんだったと思う。調べてもわからないけど...。
男を演じるのがキム・ロッシ・スチュアート、少年はアンドレア・ロッシ。そしてシャーロット・ランプリングが重要な役で好演しています。

こちらも、既に上映は終了している。決して楽しくはないけれど、まずまずの出来ではないでしょうか。ビデオかDVDででも是非。

チャオ