かもめ食堂

夢の中の主人公



  

密かに、静かに、人気になっている作品。立見も続出していたとか...。
ボクも梅田でガーデンまで行って立ち見なので諦めたことが一度ある。邦画でこう人が入るのは珍しいし、なんだか嬉しい。

形容するのが難しいお話しだと思った。
これはファンタジーなのか、寓話なのか、それとも夢なのか...。
リアリティがない。希薄なのではなく、ない。アイデアや着目点は悪くないと思う。でも、この映画の中で展開されるお話しをどう受け止めていいのか、よくわからない。設定そのものが奇抜なんだけど、正直云って、その後、何も起こらない。起こらな過ぎる。

交わされる言葉や雰囲気を楽しむ。フィンランドのヘルシンキという都市に流れる空気を楽しむのだろうか。きっとそうなんだろうな。
旅行者の視線と、ほんの数日でもいいその街に滞在する人との視線は、明らかに違う。それは間違いない。通り過ぎるだけで、忙しい旅行者には決して目が行かない部分に、滞在者は目が行くものだ。一日、二日しかいない人には必要がない情報と、滞在する人が必要とする情報はまるで違うからでしょうね、きっと。

そうして見てみると、サチエ(小林聡美)の試みは悪くない。
旅行者でも滞在者でもない人、すなわちこの街に住む人にオムスビを食べてもらいたいと思う。これって凄いょ! 誰でも気楽に入れる食堂を開くのだ。でも、コーヒーやアルコールもちゃんと置いてある。
この「かもめ食堂」に、ミドリ(片桐はいり)とマサコ(もたいまさこ)がやって来る。それも、偶然であり、しかも、偶然この二人とも旅行者ではない。この二人の出現は偶然ではなく必然だったのか...。
サチエがどうしてヘルシンキに食堂を開いたのか。その背景はごくごく一部だけ披露はされるものの、大方は謎のまま。どんな生活を送っているのか、どんな人生を歩んできたのか。そんなパーソナルな部分はヴェールに隠されたまま。
実は、最初はそれがわからなくてボクの頭の中には大きな「?」が点滅していた。でも、途中からそんなこと気にならなくなってきた。この映画にはリアリティは必要なく、必要なのは夢を見させてくれるマジックなのだと気が付いた。
自分ではきっと実現できない。でも、夢の中に現れる人には、こんなちょっとした冒険をしてもらいたい。その冒険には、様々な現世のしがらみやバックボーンや経済力なんて関係ないじゃん。だから、この人たちには夢の中の主人公の役割が与えられているんだろうな。

このお話しを観ていて「ヘルシンキ(もしくはフィンランド)へ行きたいな」とは思わなかった。
そうじゃなくて、今のボクの生活からすべて切り離されて、どこか知らない外国の街で、幾日か、幾週か、あるいは幾月か、期間もお金も気にせずのんびりと過ごしてみたいな。その街は、ソウルでも釜山でも上海でも杭州でも台北でも香港でも、それとも南米のどこかでもいい。海辺の街でそんな日々を過ごしてみたい、そう強く思った。
全く夢みたいなお話しで、ほとんど実現する可能性なんてないんだけどね。

もう一つ考えたのは、ボクならどんな料理をメニューに加えるんだろうか? そんなこと。
揚げ物をするなら、是非カツドンは加えたいし、家庭の味のカレーライスも食べてもらいたい。後はひじきを炊いたやつとかね...。
外国に行っている日本人が食べたいのではなく、外国の方に紹介したい日本の庶民の味。この違いってびみょーにあるやろな。

観ても観なくてもいいけど、お時間がおありなら、是非大きなスクリーンでご覧ください。

おしまい。