リトル・イタリーの恋

なぜだか、心がやわらかくなるお話し



  

情けない兄弟のお話し。
兄のアンジェロは、自分自身にこれっぽちも自信がない上に、ヘンテコな倫理観を持っていて恋に関しては自閉症のような性格。弟のジーノは自由奔放なんだけど、人の心が読み取れないノータリン。こんな兄弟が織成す物語り。
50年代の初頭のニューワールド、オーストラリアにあるイタリア人移植者のコロニーで繰り広げられる人間模様。

この兄弟は叔父夫婦を頼ってイタリアから遠く離れたこの地に移民してくる。英語も話すけれど、時にはイタリア語も混じるというこのコミュニティーにすっかり溶け込んでいる。それでも、オーストラリアの大地にしっかり根付こうとしている姿はいじらしい。イタリアから直輸入したエスプレッソマシンに涙する老人もいれば、自分の恋人の名を英語(米語?)風に呼ぶ若者。ここは憧れの地でもあり、若者達にとっては既に故郷でもある。

兄アンジェロはイタリアからの花嫁を待ち焦がれている。
花嫁候補の若い女性を紹介(斡旋?)してくれる婦人から紹介を受け、アンジェロはもう何人にも結婚を申し込む手紙をしたためては“non”の返事を受け取っている。その度に深く深く地の底まで落ち込んでしまう。恐ろしく純真でナィーブ(いや、単なる小心者)なのだ、そして、恐ろしいほど後ろ向き。
そんな彼が、これが最後のチャンスとばかりに求婚の手紙を送った女性には、なんと自分ではなく、弟の写真を同封してしまったことからお話しが大きく動き始める!

どう表現したらいいのだろう。 この映画を観終わって、ボクの心は柔らかく、そして優しくなっていた。

それは、はるばるイタリアから船に乗ってやってきたロゼッタ(アメリア・ワーナー)が美しいからだけではない。この出来事を通じて、関係する四人の若者が、今までのしがらみや固定観念を捨て、本当の自分の心に気が付いたからなのだろう。
誰も悪い人は出てこない。みんないい人ばかりなのがいい。そうなんだ、人間ってこうやって遠回りしながら「真実の愛」に気が付くんだろうな(もちろん、幾ら遠回りをしても「真実の愛」に辿り着けないのが現実なんだけど...)。
凄く丁寧に人物が描写される前半に対して、後半の忙しさがもったいない。ロゼッタのアンジェロ(実はジーノ)一筋はいいとして、ジーノの心の機微をもう少ししっかり細かく描かないと、まるで浮気性の若者としか見えないのが惜しいょ。それに、急にアンジェロがしっかりしだすのも何だかなぁと思わないこともありませんね。
でも、そんなことは一向に気にならない。この映画は観ながら、ハラハラして、うっすら涙ぐんで、そして事の成り行きにうっとりと酔いしれる。それでいいんじゃないでしょうか。

カフェの壁に描かれていたはずの客船が消されていた。ロゼッタが乗ってきた船はやってきたけれど、もう帰る船は出港してしまってありません。「ここで骨を埋める覚悟を決めました」って暗示だったのでしょうか。そして、一言も語らずに去っていく放浪の画家(?)、実は彼こそが愛のキューピットだったのかもしれませんね。
それにしても、写真と手紙だけを手掛かりにはるばるオーストラリアまで単身乗り込む決意とは凄いですね。今なら、飛行機に半日も乗れば行けるのでしょうが...。

あれやこれやと考えずに、甘いロマンチックな気分に浸りたいときにぴったしの作品ですね。残念ながら、OS名画座での上映は終了してしまいました(と思ったら、5/5まで続映されているようです、朝イチ10時からのモーニングのみですが)。

ところで、ボクが気が付かないうちに、ここはOS劇場C・A・Pから名前が変わって、しかも全館指定席になってます(その日の初回は自由席)、知らなかった!
ボクはこの日でスタンプが6つ貯まって、目出度く招待券を頂戴しました。ありがとうございます!

おしまい。