ブロークバック・マウンテン

何かが心の中に湧いてきたのも確か



  

何かの拍子で目に留まって読んでしまうことはあっても、ボクは基本的に観るであろう作品に関する情報にはなるべく触れないようにしている。そんなボクの映画に関する最大の情報源は、映画館で流される予告編。これは好むと好まざるにかかわらず、自然と目に入ってくるから仕方ないね、いや、大いにありがたい。
では、自発的に全く情報には触れないのかというとそうでもなくて、映画祭や各種映画賞の話題や報道は読んでしまうから、面白そうな作品や、受賞した(しそうな)作品がどんなストーリーなのかを事前に知っていることも少なくない。後は、ぴあとかインターネットかな。
逆に、真っ白なまま何の情報もなく作品を観ることの方が珍しいかもしれない。

で、今回の「ブロークバック・マウンテン」。アカデミー賞の有力候補に挙げられていた。だから、どんなお話しなのかはちびっとだけ知っていた。
ボクがあまり得意とする分野ではなさそうだ。それなのに、どうしてこの映画を観ようと思ったのか。アカデミー賞で監督賞を獲ったことと、台湾出身のアンリー監督が撮ったからかな。香港の監督(アンドリューラウ)が撮った韓国映画(「デイジー」)は駄目だったけど、アクションやコメディ映画ではないハリウッド作品を中華圏の監督はどのように仕上げたのかに興味があった。
この映画の予告編を拝見する機会には残念ながら恵まれなかったけど...。

「ブエノスアイレス」を観たときは、ゲイの愛情表現に恐れおののき「勘弁してょ」って感じで、もう二度と観ないと思ったものだ。あれから何年過ぎたのだろう...。今年観た「僕の恋、彼の秘密」では、げんなりはしたけれど、自分の気持ちの中にある拒否感はそんなに高まらなかった(知らなかったから、驚きはしたけど)。
そして、この日の「ブロークバック・マウンテン」、ボクはゲイに迎合するわけではないけれど、なんだか今までにないない何かが心の中に湧いてきたのも確か。

この映画で語られる物語りを紹介する前に伝えておきたいのが、映像の美しさ。ブロークバックマウンテンが米国のどこにあるのか、それどころか実在するのかすら知らないけれど、本当にあんなところならボクも一週間と言わず夏の間テントで生活するのもいいかな。コヨーテはいやだけど、川はきれいで、幾らでもマスが釣れそうだし...。

どういうわけか、二人の若者が放牧している羊の番をするために、ひと夏を山で過ごす仕事にありつく。

これが10代の少年なら美しい成長物語りになりそうだけど、二人とももう分別がついてもおかしくない20代の大人だけに...。でも、きっとこの物語りはゲイの特殊な関係を描きたかったのでも、30年ほど前のゲイに対する偏見を伝えたかったのでもないのだと思う。そうではなく、大人の男の普遍的な友情を伝えたかったのだと思う。
今は容易に達成感が得られる仕事はそう多くない。仕事は分業化・細分化され、一人ひとりに与えられる。一緒に汗を流して、生活を共にしながら身体を使って何かを成し遂げる仕事に出くわすことは少ない。都会のオフィスで、隣のデスクに座っている男がどんな奴でどんな仕事をしているのかわからない、自分の仕事がどんな成果を上げ、どんな役に立っているのか手応えや実感がまるでない、そんなことだって珍しくない。だから、イニスとジャックの間に芽生えたような友情や絆が存在することすら少なくなっている。あるとすれば、学校でのクラブ活動くらいかな。でも、それだって一体感は得られても達成感という意味ではごく一部を除けば手に入れるのは難しい。
人間がいつの間にか手離してしまったものへのオマージュ。しかも、舞台が大自然の中だ。これがもし、ニューヨークの路地裏が舞台だったとしても、ボクはこのストーリーに共感できただろうか?

“戦友”と呼べばいいのだろうか? ゲイはいやだけどボクにもそう呼べるようなインチメントな関係の男友達が欲しくなる。

もちろん、観終わってからスカッと爽やかというお話しではありません。だけど、なんだかしみじみと「観て良かったな」そんなふうに思える作品だと思います。
主演のヒースレンジャーは「チョコレート」で自殺してしまう主人公の息子だったんですね、気が付かなかった。ジェイクギンレイホールは若かりしころのアルパチーノのような顔立ち、この人「ドニー・ダーゴ」に主演してたとは...。光っているのはイニスの奥さんを演じるミシェルウイリアムズ、イニスの秘密を知ってしまい一人苦悩する役を上手く演じていましたね。
もう少し映画館で上映されているかもしれません。美しいワイオミングの山々と男の友情をご覧になりませんか?

おしまい。