ホテル・ルワンダ

何も出来ないから、考えなければ



  

今年に入ってから、仕事が忙しいことを言い訳にして殆んど映画館に足を運んでいない。そうこうしているうちに3月になっている。いつもなら月に10本ほど観るから、もう30本観ていてもおかしくないのに、DVDで見たのも含めても6本とは...。とほほ...。
先日、仕事でお付き合いがあるライターさんから「日本での公開の予定が無かったのに、ある人が“これは凄い映画や!”って運動を一人で始めて、上映に漕ぎ着けた映画があるらしいんですけど、ご存知ですか?」と話しを振られた。この人はボクが映画好きだと知っている。でも、ボクはそんなお話しを全く知らなかった。感度鈍ってるなぁ。
ちょっと悔しいから調べてみると、それが「ホテル・ルワンダ」という南アフリカと英国伊国の合作だということがわかった。周囲の人に聞いてみると、これがハリウッドの大作並みに、皆さんご存知だ(観た人はいなかったけど)。
もう少し調べると、大阪では九条のヌーヴォで上映している(他にはガーデンでも上映している)。ヌーヴォは改装されてから一度も行ってないしなぁ。「行こうか」と思っていたら、神戸では109シネマズHATでやってる。ここならクルマで行けるし、レイトなら割引もある。ヌーヴォさんごめんなさい!
前回この109シネマズHATで映画を観たときは“貸切”だった。今回はどうかな?

もう随分前のことだけど、ある晩、早く床に入った。すると、滅多に無いことなんだけど、夜中に目が覚めてしまい、そのまま目が冴えてしまい眠れない。仕方ないからTVのスイッチを入れる。映画が放映されていた、見ることもなく見ていると、そのまま引きずり込まれるように見てしまった。
ラストシーンが強烈だった。田んぼとも淡水魚の養殖池とも見える。濃い霧の中主人公が、その間の畦道を歩いていく。すると霧が晴れ、田んぼだったはずの場所には...。
そう、この映画は「キリング・フィールド」(1984年)。 このポルポト時代を描いた作品のことを強烈に思い出した。

改めてボクがこの「ホテル・ルワンダ」のストーリーをここで紹介することはしませんが、実話ベースの物語りだからこそ、胸に深く突き刺さるものがあります。

「隣の人たちは家族じゃない、だからここはボクに任せてくれ」

(ホテルのバーで)
「あなたは何族?」

「(殺戮の映像が流れて)これで世界中の人が助けに来てくれる」
「いや、ディナーを食べながらTVを見て“怖いね”と言っておしまいさ」

ボクが思ったのは、フツ族やツチ族のどちらが正しいのかということではない。この地球上で、こうした大量の虐殺が平然と行われ、しかもその映像が報道され知っているにも関わらず、ボクは何も出来ずにご飯を食べて寝ているということ。
何が出来るのかはわからない。いや、根性なしのボクには、正直なところ何も出来ない。これじゃまるでホアキン・フェニックス演ずるカメラマンが喋る台詞そのままだ。

ポールが凄いところは、自分が何をすべきなのか、何が出来るのか。それをしっかり判断できたことだと思う。彼の行動がベストなのかどうかはわからない。でも、悪くはなかった。
最初は家族を守ることしかアタマに無かった。それが大きく変わる。自分に出来る、いや、ポールにしか出来ないことを知ったからだろう。
清濁を併せ呑み、ある意味上手く立ち回って、自分や家族、そしてホテルに避難している人々の生命をどう守っていくのか。誰が頼れて、誰が頼れないのか。
ポールだけがヒーローではなかったはずだ。でも、その象徴として彼が必要だったのも事実だろう。そして、このポールが決してスーパーマンなのではなく、とても人間臭く描かれているところに意味があると思う。

人種や宗教間での差別、部族間の抗争、イデオロギーの違いなど抗争のネタには事欠かない。でも大切なのは生き抜くことなんだ。
今もイラクやパレスチナで起こっているし、ボクが知らないだけでどこかでも紛争は起こっている。
何が正しいのかは問題ではない。紛争問題の解決に暴力や武力・軍事力を行使することはやめよう。
そして、紛争解決のために、ボクが出来ることを探してみたい。

先週の土曜のレイトショー。30名ほどの入り。まずまずの入りでした。
でも、設備が整った大きなスクリーンではなく、小さな劇場で一杯のお客さんの熱気の中で観たかったような気がします。
話題作なので、まだまだチャンスがあるはず。観て楽しくなるお話しではありませんが、観て損はしない作品だと思います。オススメです。

おしまい。