拳が泣く/クライング・フィスト

もう一度、一緒に銭湯へ行きたい



  

今回の韓国エンタテインメント映画祭、その目玉の一つが「拳が泣く」で主演しているチェミンシクの舞台挨拶ではないでしょうか。
チェミンシクがボクのために大阪へ来てくれるのだから、これはリサイタルホールへ駆けつけないわけにはいきませんね。「ファミリー」では1/3も埋まっていなかった座席が、今回はさすがに一杯。立見まで出る盛況なのも頷けます。

ボクはこの映画がソウルで封切りされたときにも拝見してる。そのときには何故かちょっと醒めた見方をしており「正直、もう一つ」と書いた。でも、今回、日本語の字幕が付いたこの作品を観て、頬を濡らす涙を止めることは出来なかった。
やっぱり、字幕の効果はてきめんで、あやふやにしか理解できていなかったり、勝手に想像を膨らませていた部分などがしっかり理解でき、少し違った作品として受け止めることが出来た。

これはボクの勝手な想像であり、確認したわけではないけれど、ソウルで観た「拳が泣く」はテシク(チェミンシク)とサンファン(リュスンボム)の関係はフィフティフィフティだったように思う。
でも、今回大阪で上映されたバージョンではテシク寄りの表現が多く、サンファンについての描写が微妙にカットされていたのではないでしょうか? だから、大阪バージョンを観たボクは心情的にテシクに肩入れして観ていたような気がするのです。
だから、余計に息子が百貨店(住宅展示場?)を抜け出して試合会場へ向かい、リングに駆けつける姿に涙してしまったのかもしれない。

ボクシングは勝負事だから、もちろん勝つにこしたことはない。誰でも負けるために努力しているのではなく、勝利を夢見て苦しい練習をしている。しかも、その背中には自分の意地だけがあるのではなく、さまざまなものを背負っている。その重さは、当事者でないとわからない。
でも、勝つことだけが大事ではない。勝つためにどんな努力をしたのか、どんなものを背負い、その重さをどう克服しようとしたのか。その努力や頑張りが大切で、それが評価されることもある。

テシクは勝ちたかったに違いない。でも、きっと満足していたんだろう。こんなに素晴らしい試合を自分が出来た事に。その思いはボクにも充分伝わってきた。
ある意味、今までのテシクの人生がこの試合で全て昇華されたのではないだろうか。
この試合が終わり、その後テシクがどんな人生を送るのかはわからない。でも「そんなことはどうでもいい」と思ってしまうほど素晴らしい感動を与えてくれたのだと思いました。

勇気を与えてくれる作品だと思います。

2006年新春に全国ロードショー公開が決定しているようです。お時間があればスクリーンで是非ご覧ください。

おしまい。