灯台守の恋

置き去りにされたアコーディオンの淋しさは...



  

続けて日比谷で拝見したのがこの「灯台守の恋」。こちらは少人数。しかし、密度は濃い。
大阪では如何にもOS劇場で掛りそうな作品だと思ったら、やっぱりOSでの公開でしたね。

情緒の説明が極端に少ない。なるほど、大人の映画だ。
すなわち「説明はしなくても、わかるでしょ、大人なんだから」ってことか。
ちょっと酷な(?)言い方をすれば、この映画を観て“説明不足”だと感じれば、まだまだ人生経験が足りないということなんでしょう。ボクは幸か不幸か、説明不足とは思わなかったから、順調におっさんへの道を歩んでいるのでしょう(きっと)。

荒れ狂うフランスの北岸ブルターニュからさらに離れたウエッサン島が舞台(しかし、この地中海の反対側にある海は何と言われてるのでしょう?)。時代は恐らく1960年代の初頭。この島からさらに沖合いにある岩礁に、海から突き出た蝋燭のような形をしたジュマン灯台がある。船が接岸することも出来ず、ロープを渡して灯台守は交代する。そして、一度交替すれば2ヵ月間はペアを組んだ二人で夜を徹してジュマン灯台が発するランプを絶やすことなく守るのだ。

心情の説明は少ないが、背景は巧に描かれている。
この灯台守は、親から子へ、あるいは兄弟や親戚の間で代々引き継がれてきたこの地方の男たちが誇るべき仕事なのだ。一度灯台に入れば二人っきりでの作業、チームワークが絶対条件。そして、男たちを灯台に送り出す島の女たちはおしゃべりを楽しみながら魚の加工作業に精を出す。他の地域と隔絶されたこの島では、新しく島に来る人物は否が応でも注目を浴びる存在なのだ。

イヴォンは、灯台守の重鎮だった義父を亡くす。後任にはこの島の一族の誰かをと思っていたが、いきなり本土から若い男が赴任してきたことに驚きを隠せない。それでも、義父の後任だけに冷たくあしらうわけにも行かず表面上は歓待する。
新任の男アントワーヌは何も知らないまま斡旋されたままこの任地に赴いたものの、理由がわからないまま周囲から浴びせられる冷たい視線に戸惑いを隠せない。数日を経てイヴォンと組んで灯台へ行く日が来る。
それまでの日々で、男気が溢れるイヴォンの態度に感心していたけれど、一緒に作業するうちに二人の間には、お互いがお互いを認める“友情”と呼んでも差支えが無い感情が芽生える。ネコちゃんも一役買っているのも微笑ましい。

しかし、ここから物語りは意外な方向へ向かい始める。 映画は、起こった事実のみが感情を挟まず、淡々と時が流れるままに描き出す。その間、観ているボクの心はハラハラし、そして痛むのだ。

そして、最後に明らかになるのだ。この映画の冒頭に登場し、そのままモノローグを語る語り部としてのイヴォンの娘カミーユの秘密が。
語り終わったカミーユは、この島にある生家の売却の話しを理由を語らずにキャンセルしてしまう。一冊の本を読んだばっかりに、彼女にとってのこの家の価値が大きく変わってしまったのだ。
そう全ては、郵便で送られてきたこの本を“読んでしまった”ことによって...。

イヴォンが生まれてきた彼女を溺愛したという語りは、ボクをほっとさせた反面、イヴォンの優しさと苦悩に思いを馳せる。
いいとか悪いとか、そんなことを突き抜けた思い...。

若い人が観れば、アホらしいお話しにしか過ぎないのかもしれない。でも、いたずらに齢を重ねてきたボクには、ある部分は自分自身と重ね、ある部分は気持ちを共有して、重厚な物語に、厳しい自然を眼前にして図らずも酔ってしまう。
“「きみに読む物語」と「ラベンダーの咲く庭で」を足して割って、なおかつまったく別の味付けをした物語”そんな表現をしたら叱られるだろうか? ボクはむしろこの二作品よりも上だと思いました。
興行的にはもう一つだったとは思いますが、いつまでも心に残しておきたい佳作だと思います。チャンスがあれば、DVDやビデオででもご覧いただきたいです。もし、一回ご覧になっても何とも思えなかったら、3年か5年してからもう一度ご覧になるのはどうでしょう? そんな奥行きを持ったお話しだと思います(ちょっと誉め過ぎたかな?)。
もちろん、大阪のOS劇場での公開はずいぶん前に終了しています(ゴメンなさい)。

おしまい。