カーテンコール

ちょっと歯切れが悪い



  

あまり期待することなく、でもほんの少し期待して映画館へ向かった。それは、何度もこの映画の予告編を目にしていたから。藤井孝が映画館で幕間に芸をするシーンが繰り返し映されていた。
封切り間もない時期だったので、平日にもかかわらず そこそこの入りでした。

「チルソクの夏」「四日間の奇跡」に続く佐々部清監督の“山口三部作”の三作目だそうだ。
山口(下関)である必然性があったかどうかは不明だけど、関釜フェリーの玄関口だけに意味はあったのかもしれない。

予告編では見えなかったお話しが語られ、ボクは意外な気がした。ただ単に昭和30〜40年代へのノスタルジーのみが語られるのではなかった。
う〜ん、こう来るか!

もちろん、悪い話しではない。
しかし、いろんなお話しを詰め込みすぎてしまい、そのために本筋が少しぼやけてしまったのではないか。ぼやけてではなく、こんがらがって散漫になったのか...。
現在の伊藤歩ふんする一発屋の芸能記者(カメラマン?)が九州のタウン誌に飛ばされる(?)までのエピソードは、ちょっと理解に苦しむ。あの編集長(?伊原剛志)との関係も...? 九州のタウン誌の編集長(黒田福美)も?
伊藤歩と父親の関係や、伊藤歩と高校の同級生のエピソードも省いても良かったかな。
このへんをもう少しあっさり描いて、本題に入るべきだったのではないでしょうか。そんな気がしました。
もう少し言いたいこともあるのですが、それはひとまず置いておいて...。

そうそう、ボクがまだ子供の頃、映画館に行くと、上映時間の合間に舞台の上に芸人さんは出てこなかったけれど、駅のホームの駅弁売り(これも最近はすっかり姿を消しているけど)のスタイルで、お菓子やアイスクリームを売りに来てました(ちっとも買ってもらえなかったけど)。そんなことすっかり忘れていたなぁ...。
それに、今のように座席が指定なんてことはなかったし、上映中にも席を探しに入ってくる人が館内をうろうろしてました。最近ですよね、上映が終了するまで並んで待つようになったのは。

幕間の芸人の存在を探す旅は、芸人とその家族を探す。彼らが経験した昭和から平成までの時の流れを追体験する旅になった。
ボクには当時の在日韓国人がどんな立場であったのかはわからない。でも、固い絆で結ばれていたはずの父娘の関係が、あまりにももろく断ち切られてしまう姿を見せられ、ちょっと戸惑いを感じた。
悪いお話しではないんだけど、この映画で観たかった世界は、ここで語られるようなお話しではなかったような気もする。予告編でもう少し違う打ち出し方をしてもらいたかったな。

ボクが羨ましいと思ったのは、奥貫薫の一途さ。こんなタイプの女性は、駅弁売りのおじさんのように、今はもう姿を消してしまったかもしれませんね。

評価はちょっと難しいけれど、何度も言いますが悪いお話しではないので、チャンスがあればご覧いただいても決して損はしない作品だと思います。
映画で語られるお話しも歯切れが悪いけれど、ボクのこの文章もちょっと歯切れが良くないような...。

おしまい。