メトロで恋して

クララとボク



  

どうして、今までこんなに良い二人がお互いに恋人もなく、淋しいままで三十路を迎えたんだろう?
まぁ、男アントワーヌ(ジュリアン・ポワスリエ)の方は定職もなくブラブラしているのだからそれも仕方ないか。でも女・クララ(ジュリー・ガイエ)はそこそこかわいいのになぁ...。いやいや、表には出てこないだけで、お互いにがんばっているけど、出会ったときにお互いが、たまたまシングルだったってことなんでしょうね、きっと。

とにかく、二人は偶然に同じ地下鉄に乗り合わせる。
ここで言葉を交わしてしまうと、ただそれだけだったかもしれないけれど、二人は何故かメモを交わす。いや、メモではなく、選択式のアンケートを取り合うのだ。それがなんとも微笑ましくもあり、カッコいいから不思議だな。日本でこんなことやっていたら、ヘンタイと思われるのがオチかもしれないけど...。
そして、クララは地下鉄を降りる際に、自分の電話番号を書いたメモをアントワーヌに手渡す。

映画だから、それともパリでは常識ないか。それはわからないけれど、こうしてアントワーヌとクララの甘い日々が始まる。
しかし、ボクには、伏線が伏線とは見えず、なんだか背景があまり生きてこないように思えて仕方なかった。アントワーヌと両親との関係や、少し年が離れた兄の存在は何だったのだろうか? まったく関係なく流れるサイドストーリーであったのなら、もう少しクララの私生活(過去?)を描いてほしかったような気がするな。

そう思わすほど、クララはなかなか粋でかっこよくて、かわいい(フランスの女優さんとしては、マリー・ジラン以来かな、くらっときたのは)。

そして時間は流れる。パリでは夫婦になる前にお互いの血液検査(健康診断?)をする習慣があるのだろうか。それとも、偶然二人で医者に行ったのだろうか(肝心なところで、一瞬気を失ってしまっていた!)、でも医者からナンバーで呼ばれていたからには、きっと検査を受けに行ったんだろうな。そして、結果が、意外な結果が申し渡される。

しかしね、ボクにはイマイチ理解できなかった。この映画で伝えたいことが。
愛は何にもまして重要なことだと伝えたかったんだろうな、それはわかる。でも、アントワーヌを一方的に責めるような展開はどうなんだろう?
それと、アントワーヌやクララの心の揺れがあまり上手く描けていなかった。なんだかセリフに頼っていたように感じた。

「一番大事な人が、病気じゃ駄目なの?」

それとも、ボクの感度が鈍っていて、大事なサインを見逃してしまっていたのだろうか?
ジュリー・ガイエが素晴らしかっただけに、何だかちょっと物足りないような気がしました。何もお涙頂戴の展開にして欲しかったわけではないけれど、どうも盛り上がりに欠けたような気がします。題材の目の付け所が面白かっただけに、惜しいなと思いました。
邦題は「メトロで恋して」だけど、ボクの拙いフランス語能力で判読すると原題は「クララとボク」(だと思う)。東京の地下鉄が東京メトロという名前に変わったばっかりだし、この邦題も悪くないのかもしれないけれど、ボクとしては「クララとボク」の方がずっとしっくり来るような気がするけどなぁ。どんなもんでしょう?

おしまい。