村の写真集

心は大切だ



  

東京で一泊すると、翌日は東京をウロウロして過ごすのがいつものパターンなんだけれど、事前にピアの東京版をチックしても、威力的な番組が上映されていない(ような気がした)。そこで、戯れに名古屋や京都の番組をチェックしてみると、なんと名古屋のシネマスコーレという映画館で、観たかったり観逃したりした作品が、なんと超豪華三本立てで上映されているのを発見!
シネマスコーレはお邪魔したことがないスクリーンだけど、地図を見ると名古屋駅から徒歩で行けるみたい。「よっしゃ決めた!」とホテルの朝食を一番でお願いして、素早く東京駅へ向かう。
東京〜大阪間を新幹線で移動することは滅多にないのだけど、やっぱり長く感じるなぁ。でも、新聞を読んで、本を読んで、飽きたなと思ったら、もう豊橋を通過中。やっぱり速いか。

恥ずかしながら頬が涙で濡れた。

OS劇場C・A・Pで上映していたのは知っていた。徳島が舞台なのも知っていた。藤達也が出演しているのも知っていた。予告編は何度も目にしたもんね。
でも、どんなお話しなのかは、出きるだけ触れないようにしていた。観るのを決めていたから。

人を動かすのは、金の力や理屈ではない。
やっぱり、人を動かすのは心なんだ。
そんなことを再認識させてくれる。

だから、ボクも少し心を入れ替えた。仕事のときでもそうじゃない。仕事だからと淡々とこなすだけでは、読み手に心は伝わらない。熱い思いを伝えるには、ボクの心も伝えないと駄目なんだ。もっとも、ボクの心の空回りではあかんのだけどね。

平成の大合併で村や町が消えている。ボクの田舎も竹野郡丹後町から京丹後市に変わった。風も川も海もそのままだけど、ボクの心には喪失感がある。そんな喪失感を味わっている人の数は少なくないはず。そんな地名に対してさえ執着が大きいのに、村がダムで水中に沈むとなったら、その心情は察するに余りある(もっとも、最近は政策が変更され、そうそうダムも出来ないんだろうけど...)。
ただ、この映画で描かれているのは、そんな喪失感や執着心ではない。

父と子、父と娘のそれぞれ切れ掛かっている心の絆の再生。

思い返せば、ボクは父親とどれだけ話しをしたのだろう。結局、ほとんど何も話しをしなかったのに等しい。だから、父親の考え方や父親そのものを全く理解出来ていなかった。今はすでに鬼籍に入っているので、余計にそう思う。どうしてもっと話しをしなかったのかと。

それに引き換え、研一(藤達也)と孝(海東健)は幸せだ。いや、父である研一は凄い。そう思うと、ボクは父親から何も期待されていなかったのかと、ちびっとひがんでしまうけどね。
ダムに沈む村は、村の景色を、村の住民を一冊の写真集に残しておこうと企画する。その写真を撮るのが、村で唯一の写真館を営んでいた研一。今は写真館を閉めて、造林も営む製材所で働いている。しかも、頑固でへそ曲がりの研一が「この(撮影の)仕事をさせてくれ」と自ら手を挙げた。
そして、その撮影の助手には、カメラマンを志望して東京で働いている自分の息子・孝を指名した。
しぶしぶ故郷に帰った孝は、相変わらず頑固な父親に振り回されながら父の撮影を手伝うことになる。

心は大切だ。
心が閉ざされていると、見えるものも見えない。心がささくれたっていると、相手の心に突き刺さる。そして心を開くと、今まで見えなかったものが一斉にこちらを向いて姿を現す。
ちょっと綺麗過ぎるお話しであるのも確かだ。甘い部分もある。
それでも、観ているボクの心を揺れ動かす魅力が、感動があるお話しであるのも、これも事実。

父を背負って、ただ一枚撮り残した(しかも、自分では上手く撮れなかった)写真を撮りに山を上がる。その時、孝の心の中を行き来していた思いはなんだろう。息子の背中で研一は何を思っていたのだろう。

今後、関西での上映は11/16に茨木市クリエイトセンター(市民総合センター)で予定されているようです。 広島ではシネツイン1で10/15〜28の上映があるようです。
また、11/3にDVDの発売とレンタルが開始されるようです。

全ての人が感動したり、落涙するとは思いませんが、ボクは観て良かったと思いました。だからおすすめです。

おしまい。