ヴェラ・ドレイク

絆とは、無償の愛だけではなく、信頼



  

ばっさり切り捨てるのにはちょっと難かしい作品。
拝見した直後は思わなかったけれど、時間を置いてこうして思い返すと「マグダレンの祈り」に通じるものがあるのかなぁ。舞台は英国だし、扱っているテーマも似ている。ただ語られる内容は随分と違うのだけれど。

この「ヴェラ・ドレイク」で語られるテーマは“家族愛”であり“無償の愛の結果”ではないでしょうか。
冒頭を除き、最初の数10分はヴェラ(イメルダ・スタウントン)がどういう人物なのか、この一家がどんな家族なのかが、説明口調ではなく淡々と語られる。
その中で、印象的なのがヴェラの娘・エセル(アレックス・ケリー)、そしてヴェラの旦那・スタン(フィル・デイヴィス)。
エセルは淋しい存在。容姿は取り立てて見所と呼べる部分もなく、性格も引っ込み思案。だけど、そんな彼女を夫婦も兄も口には出さないけれど、いつも気にかけて心配している。
スタンは、第一次世界大戦に従軍し、復員するものの職はなかった。そして、弟が経営している自動車修理工場に勤めている。兄弟ではあるけれど、決して共同経営者ではなくあくまでも彼は雇われて働いている。このスタンと弟の対比も面白い。
そして、ヴェラの日常も細かく描かれる。その存在はまさしく“良妻賢母”。彼女は主婦としての仕事をこなすだけではなく、家政婦として幾つものお屋敷に出入りし、そしてどこのお屋敷でも重宝がられている、また病気がちの隣人の世話を焼く。そんな生活。

起承転結で言えば、起の部分はしっかりしている。つかみはばっちり。
そして、お話しは意外な方向へ転がり始める。

ヴェラが指示を受けて、冒頭に登場した娘が待つ部屋を訪れる。怯えている娘に対して、ヴェラは優しく微笑む。そして、彼女に対してある施術を行う。
ボクは堕胎に対しての知識は全くない。そんなボクが見ても「これで大丈夫なのか?」「こんな簡単なのか?」と思ってしまう。施術の簡単さだけが気に掛かるのではなく、教会から禁じられている堕胎をしてもいいのかと心配してしまう。
だけど、望まぬ妊娠をしてしまった女性にとっては、藁にもすがる気持ちだったのだろう。そういう意味ではヴェラは街のダークサイドに居る天使だったのかもしれない。
それに、ヴィラはある女性からの指示を受け、女性が待つ部屋へ出張していく。施術を待つ女性とはその場限りの出会いであり、その前にもその後にも会うことはないのだ。もう一つのポイントは、彼女はこの役割を全くのボランティアで行っていた。金銭の授受は行われていなかった。
さらに、彼女はこの仕事については家族には内緒にしていた。それに彼女はこの施術に対して何の罪悪感も持っていなかった。本当に安全なのだと信じていた。信じ込むと言うか、無知とは恐ろしい...。

家庭や町内では良妻賢母で、頼れる存在(少しはお節介?)だったヴェラ。
が、ふとしたことで彼女のもうひとつの顔が表に出ることになってしまった...。

この映画は、ヴェラがいい人なのか、悪い人なのか、まら彼女がが行っていたことが良かったのか悪かったのか、それを裁こうとしているのではない。
そうではなく、ヴェラのもう一つの顔を知ってしまった家族がその後ヴェラに対してどういう態度をとるのか、家族として結束することが出来るのかを問いている。
家族の愛とは不思議なものだ。親から子への愛は無償の愛として描かれることが多いけれど、子から親への愛も人間が生きていく上では欠かすことが出来ないものだと痛感させられる。子供から親への愛が失われてしまったら、その親ほど惨めなものはないのだ。
そして、忘れられないのは、親と子ではなく、夫婦の間にも愛するとか愛さないとかいう次元を超えた信頼という絆が存在していることだ。
“罪を憎んで人は憎まず”そう言葉で言うのは簡単ではあるけれど、実際は難しいものだ。
もう一つ、これだけ長く一緒に暮らしていたのに、自分の妻に自分が全く知らなかった顔があった。つまり秘密があった。これって夫にとっては大きな衝撃だったに違いない。それでもそれを許し、苦悩し、信じて、そして守ろうとするスタン。
理想の姿とは言わないけれど、訳がわからないまま警察署の廊下で立ち尽くす(座り込む)彼の姿に、胸が熱くなりました。「もし、自分なら...」と考えずにおれませんでした。

確かに甘い部分もある。
でも、人とは何か、愛とは何か。そんなこと基本的な部分をを考えさせられる作品。
重いけど、観応えがある作品です。

おしまい。