DMZ 非武装地帯 追憶の三十八度線

時は流れても、DMZはまだ存在している



  

韓流シネフェス以外の枠でもどんどん韓国の映画が公開される。そんな中でも地味にひっそりと公開されていたのが「DMZ 非武装地帯追憶の三十八度線」。韓流シネフェス上映中の天六、こっちは一階のユウラクザ。お客さんの入りはパラって感じで、いつもの天六。

何のために闘うのか、誰のために銃を取るのか、どうして相手を倒さなければならないのか...。そういった説明は一切無い。そういうイデオロギーは国民の共通認識としてしっかりと保持されているのか。それが良いか悪いかは別にして、このお話しは語られ始める...。

大学で映画を専攻している主人公ジフン(キムジョンフン)は、入隊し、訓練中の出来事が縁でDMZに配属される。そこは38度線を挟んで北と対峙する最前線。遠く離れた安全地帯から想像するDMZは極限の緊張が解けることが無い地帯に見えるけれど、配属された部隊で送る日々は「あれ?」っと思うほどののんびりムードが漂っていた。
しかし、1979年10月。韓国の大統領が暗殺されると事態は一変する。以前から南進(北側が韓国国内に工作員を送り込むこと)のためにDMZをくぐるトンネルが何本も発見されていたこの地域では、韓国国内の混乱と動揺に乗じて南進活動が活発になるのではないか。警備が一層強化され、地面に配したマイクが拾う音を分析し、地底深くトンネルが掘られていないか聞き耳を立てていた。
そんな任務もあるが、DMZに配属された兵士たちにも、生活があり感情があ。生活の場となったDMZは、その途端に緊張感よりも何だかインチメントな空間なってしまう(ような気がする)。牧歌的なキャンパスから、いきなり生死の境界線に放り込まれ、男だけの共同生活が始まる。
それが軍隊であっても、戦場(DMZ)でなければ、全く違う2年間だったろうに、相手の顔が見え、殺すか殺されるかの文字通り“交戦”を経験し、複数の“死”を目の当たりにすると、やっぱりその後の人生観はすっかり変わってしまうんだろうな...。
“善”とか“悪”とか“何故”とかはない。生死を目の当たりにしてしまうと、悩みは吹っ飛んでしまう。ある意味、もっと根源的な思いに執着してしまうのかもしれない。

このお話しは“思い出”がベースになっている。そしてその思い出は生涯忘れ去ることが出来ない思い出なんだろうな。深く刻み込まれて決して癒えることはない。だから、イデオロギーの問題ではなく、ある意味ノスタルジーに浸るものなんだろう。
だから、観方によっては、少々感傷的で喰い足らない部分があるのも確か。もちろんボクは軍隊に入ったことも戦場に赴いたこともない。でも、何だかこの映画の作り手の気持ちを少しくらいなら理解できたような気もする(まぁ、きっとそんなに甘いものではないけれど)。

ラスト近く、東京に写真を持っていくエピソードが挟まれる。ひょっとしたら、それは事実であったかもしれない。でも、このエピソードだけはなんだか蛇足のような気がしました。

兵長役の俳優さん(パクゴンヒョン)がいい。もちろん役がいいのもあるけれど、それだけではないような気がしました。今回、この映画で初めてお会いしたような気もしますが、次回作はムングニョン主演の話題作(かなりの確率で日本でも劇場公開があるはず)「ダンサーの純情」だそうです。この作品も含めて今後に期待出来そうな気がします。
もう一人、同じ部隊にいて天幕で生活している先輩も時々観る方でチョンウンピョ。この人潜水艦映画の「ユリョン」で開腹させられてしまうコックさんだったような気がします。

おしまい。