ニライカナイからの手紙

どうして、おっかあは帰って来ないの?



  

最近はスクリーンの数に較べて、供給される作品数が多いのか、それとも一部の話題作がスクリーンを独占してしまうからなのか(きっと両方だと思うけど)、マスコミの話題に上がらなかった(上がれなかった?)佳作があっと言う間に上映を終えてしまい姿を消してしまう(ことが多いような気がする)。
この「ニライカナイからの手紙」も大阪では梅田ブルク7でひっそりと上映され、ひっそりと終わってしまった。後悔先に立たずで、ボクは観逃がしてしまった。久々に悔しい思いをしていたら、こっそりと神戸のシネカノンで上映しているではないか! 何だかとっても嬉しかった!
その割にはこの映画、タイトルはチェックしていたのに、お話しの中身や出演者などについては全く知らなかった(予告編すら観ていなかった)。単にボクの注意不足で、様々な露出を見逃していたのかもしれないけれど...。
では、何故この映画が気になっていたのか? 
それは“ニライカナイ”という言葉。この言葉を知ったのは沖縄とかではなく、ツバキの花の名前から。初めて目にしたときは「面白い名前やな」程度だったけれど、実は琉球方言で“桃源源”という意味を持つと知ってから、花の美しさもさることながら、この言葉の持つ美しい響きにも魅了された。でも、普段の生活でこのニライカナイという言葉に触れることはそうそう無いし、使うことはもっとない。小説のタイトルで触れるぐらい。そして、この映画のことを知った。

沖縄本島のはるか南、八重山諸島のひとつに竹富島はある。その島に住む一人の少女が主人公。
子供にとって幼い頃に別れたままの母親(南果歩)の思い出は強烈。連絡船の波止場で別れて以来、もう何年も会っていない。
「どうして、おっかあは帰ってきてくれないのか?」「おっかあはどうして(私に)会ってくれないのだろう?」そんな思いで風希(ふうき・蒼井優)の小さな胸はいっぱい。心ない同級生からは「(おまえの)おっかあは風希のことを忘れてしまったんだ」と言われてしまう。
でも、そんな風希の心を満たしてくれるのは、毎年誕生日に届くおっかあからの手紙。風希はこの手紙が届くと、お気に入りの場所へ駆けて行きその手紙の封を切るのだ。

「おっかあは、どうして帰ってきてくれないのか」
この疑問には誰も答えてはくれない。一緒に暮らす郵便局長のおじじ(平良進)もおっかあのことは何も教えてくれない。

この疑問は月日が解決してくれるという性格のものではない。幾ら時が流れようとも風希はこの疑問を忘れたことはないし、忘れられない。
帰って来ないおっかあを待つのなら、いっそうのことおっかあがいないほうが何ぼかでもましかもしれない。でも、おっかあは一年に一度手紙をくれる。おっかあは自分のことを忘れてはいない。でも、自分のことを忘れていないのなら、どうして帰ってきてくれないのだろう...。
風希が成長するにつれ、彼女の心の中で大きくなる思いは、おっかあに対する恋慕ではなく“あきらめ”だったかもしれない。

風希が16歳になった日。おっかあから届いた手紙には「風希が20歳になったら、ちゃんと会って全てのことをお話します」と書かれていた。
20歳になるとおっかあに会える。20歳になったら全てのことがわかるんだ。

そして、風希は高校3年生を迎える。
自分の進路を決める日が近づいている。亡き父親が残してくれたカメラを片手に島の姿をフィルムに収めていた風希は、いつしか写真に興味を持ち本格的に勉強したいと考えていた。そして、島を離れ東京にある写真学校へ行くことは、おっかあから届く手紙に押してある消印「渋谷一」に近づくこと。もしかしたら、おっかあに会えるかもしれない...。

そして、風希は20歳の誕生日を迎える。

残念なことにボクは日本人の若い俳優さんをほとんど知らない。高校生以降の風希を演じた女の子、きっとこの映画で初めて出会う方だと思う。だけど、この蒼井優、とてもいい。今にも崩れそうなんだけど、意地っ張りで、頑固で、それでいて頑張り屋さんの風希をとっても上手く演じている。
おじじの平良進、島の同級生海司(かいじ・金井勇太)もいいな。

上手くこの映画の魅力を伝えられないのが、なんとももどかしい。
この映画、竹富島での前半もいいのだけれど、断然後半がいい。後半の風季がとても上手く描かれている。
優しい気持ちになれて、竹富島へすぐにでも飛んで行きたくなる。そして号泣必至の佳作です。お時間が許せば、是非シネカノン神戸へ!(7/22まで朝10:10〜の一回のみ上映)

おしまい。