天上草原

厳しいながらも、暖かい生活



  

少々乱暴な部分もあるけれど、基本的には「いいお話し」。ボクも多感な少年時代にこんな経験をしていれば、全く違う人格を持った大人になっていたかもしれない(そんなことないか?)。
舞台はモンゴルの大草原。その草原を若き日の勝新太郎が牛車に揺られている。その荷台には少年も一人乗せられている。二人とも日差しを浴びながらぐっすり寝入っている。どうやら行き先は牛が知っているようだ。
どこまでも続く緑の草原。草を食む羊や馬。犬が群れを追いたて、人は馬に乗って走っている。これがモンゴルではなく、アリゾナやテキサスだったらカウボーイ、西部劇だね。

やがて少しずつ明らかになる。
この勝新太郎はシェリガン。傷害の罪で投獄されていた刑務所から出所してきた。少年フーズ(虎子)はシェリガンの息子ではなく、牢仲間の息子。この少年は母親にも見捨てられ、失語症に陥っていたところを街で見つけて無理支離この草原まで連れてきた。文字通り縄で縛って。
シェリガンの牛車が向かうのは、倍賞千恵子(別れた女房バルマ)と、シェリガンの弟テングリが暮らすゲル(モンゴルの移動式住居)。シェリガンは別れるつもりは無かったのだけど、刑務所に収監されるのを機に、書類上は離婚している。5年前はまだ少年だったテングリも、逞しい青年に成長していた。

モンゴルの草原は、雄大。そして、さっぱりとして、自然は季節の移り変わりにも正直。

なのに、この草原で暮らすこの四人は、いずれも心に傷を持ち、素直じゃない、正直じゃない。そんな4人の心の硬さを、この草原が少しずつほぐしていく。その心の癒し方がいいなぁ。
強さや強引さだけでも駄目。でも、やわらかさや優しさだけでも巧くは行かない。強さも弱さも固さも柔らかさも、全てを受け止めて包み込んでくれるモンゴルの大地は偉大だ。

牛車に揺られて唐突に始まったこの物語り、又しても牛車に揺られていきなり終わりを迎える。
これからこの4人はどうなっていったのか。シェリガンとバルマはうまくいくのか、テングリはどうなるのか...。そのあたりが気にはなるんだけれど、逆に言うと手の内を全て明かされるよりは、こうして余韻に浸っているあいだにあっさり終わってしまう方が味があるのかもしれませんね。

この映画をどう評価するかは難しいところ。額面どおり、今は成人した虎子が、かつて幼い自分が過ごしたモンゴルの草原とその家族を、振り返って懐かしむのであれば「美しい話し」であり「いい話し」でOKだ。でも、その額面どおりに受け取ってもいいのだろうか? ちびっとへそ曲がりなボクは、ちょっと斜に構えて観てしまう。10数年前ならこの映画のような情景も珍しくなかっただろうけれど、果たして今でもシェリガンとバルマはモンゴルの草原で暮らしているのだろうか? それが許されるような社会情勢であり、経済情勢なのだろうか? そんなことを考えると複雑。
でも、そう難しく考えることもないのかもしれません。

どっしり構えて、そしてボクを包み込んで癒してくれる内モンゴルの草原へ一度行ってみたくなりますよ。
素直な気持ちでご覧ください。でも十三のナナゲイでの上映は終わってしまいました。

おしまい。