エレニの旅

愛は失われていく、その悲しさが美しい



  

ギリシャの巨匠テオ・アンゲロプロス監督が「永遠と一日」以来、久々に発表した新作だそうです。この監督、この「永遠の一日」でカンヌ映画祭パルムドールを獲得しているのですね。
でもボクの場合、ほとんど監督が誰なのかは気にしない、この「エレニの旅」も何度も見かけた予告編の映像があまりにも美しかったので、是非観たいと思っただけ。
予告編を観て、こんなお話しかなと勝手に想像していたストーリーとはずいぶん違う物語が展開されたけれど、美しく見ごたえがある作品でした。それに主人公の女性が、予告編を観る限りオドレイ・トトゥに凄く似ていることも気になっていた。

びっくりするほど美しい。
冒頭、岸辺を歩くシーン、遺体を載せた舟が喪を表す黒い布を掲げた一団を引き連れて河を遡る場面、白いシーツが一面に干されているシーン、葉を落とした大木に20匹ほどの羊がぶら下げられているシーン、そして土手を越えれば半分水没した集落が骨組だけ残っているシーン、目の前を速度を落とした蒸気機関車が蒸気を一杯に吐き出しながら通り過ぎるシーン、ウェディングドレスに身を包んだエレニが寒空の夜波止場(?)で踊るシーン...。まるで魔法をかけられたように見とれてしまう。
どれもこれもがまるで絵画のようであり、計算された美しさ。そんなシーンの連続にボク酔ってしまう。
こんな映像の美しさとは裏腹に、映画として、物語として観たとき、極端な台詞の少なさ、説明の少なさもあいまって、かなり不親切なつくりになっているのも事実。
冒頭、1919年にロシア革命に追われ、ロシアからギリシャの地に舞い戻らざるをえなかったギリシャ人のお話しであることが明示される以外は、時間の流れも、今語られているのが一体いつなのか(何年の時が流れたのか)がわかりにくい。
もっとも、本当は行き交う列車に乗っている兵士たちが唄う曲の内容で、時間の経過をわからせる趣向なのだとは思うけれど、残念ながらボクはそこまで西洋史やギリシャの近代史に明るくない。
いや、今が語られるのがどの時点なのか、そんなことはあまり関係ないと思っているのだろう。エレニにとって時間はそれを象徴するだけで、その時その時こそがが全てだったのでしょうか。

ギリシャの近代史をある女性の視点から俯瞰するなどと、大それた狙いがあったのではないのいでしょう。きっと、ギリシャだけではなく、世界中の女性が抱く、夫であり男である愛する人への愛情と、子供に対する代償を期待しない愛を描きたかったのでしょうか。そして、それが戦争や紛争という彼女の愛とは全くかけ離れた理由で失ってしまう喪失感とともに。
愛しても愛しても、その対象がスルリと彼女の掌からこぼれ落ちてしまい、エレニには何も残らない悲しさ。
普通なら、もっとも時間が割かれであろう里子に出した息子の奪還(?)だとか、義父との確執が驚くべきあっさりさで片付けられていて、大事なのは愛を得る過程ではなく、愛を失っていく過程なのでしょうか。そこに圧倒的な重点が置かれているのが、深く深く印象に残ります。

ここでボクがどんなお話しだったのかを紹介しても意味がないような気がします。
大河ドラマとも長編の抒情詩とも受け取れるこの映画をチャンスがあればご覧ください。でも残念ながら、大阪梅田のOS劇場C・A・Pでの上映は終わってしまいました。
映画が始まるまで、3時間という長さにちょっと尻込みしてしまうかもしれませんが、長さはさほど気になりません。むしろ、もう少し酔っていたかった感じさえありました。
最後になってしまいましたが、この作品で印象に残るのは、音楽です。なんだか控え目なニーノ・ロータを聴いているような気がしました。サントラがあるのなら、買ってもいいな。

おしまい。