さよなら、さよならハリウッド

唸りたかったワケではない



  

お話しそのものは面白い。でも、何か踏み込みが“甘い”。
で、少し考えてみた。結局、この映画は“映画制作はいかにバクチみたいなもの、どう転ぶかわからない”ということが言いたかったのかな。
一時的に視力を失った監督が撮った作品。自分でも駄作だとわかっている、映画会社にも観客にもそっぽを向かれてしまう(当然だ)。でも、海を渡ったら大ヒットすることもある。すなわち、どんな意図を持って作った作品でも、観る人によって全く評価は異なるということか。製作者の意図とはまったく別のところで評価され、お客が入るかどうか、儲かるかどうかが決まってしまう。
そんなことをこの2時間のドラマで伝えたかったのかな。

もし、そんな意図を込めてW.アレンがこの映画を作ったのなら「なるほど」と思うけれど、ボクは「なるほど」と思うだけで、観ていて面白くとも何ともなかった。確かに、さまざまなシーンで笑いは誘われた。でも、それはそれだけの笑いで心や思いに届くような種類のものではなかった。
W.アレンの新作。大きな期待を抱いて飛びついてしまったボクも悪かったけれど、どうも納得いかないな。
ボクは「なるほど」と唸りたかったわけではない。
折角用意されたこの面白い設定を上手く生かして、ハリウッドの映画制作の裏側を徹底的に茶化した、爆笑できてスカッとする、そんな作品に仕上げてもらいたかった。

ボクは暗い映画館の中でスクリーンに映し出される映画を観て、ああだこうだと文句だけをたれているわけではないのだけれど、こうして映画界の内情を観ていると、映画というものは、いかに多くの人が関わり、いかに巨額の資金が動くのかがよくわかった。
しかし、視覚障がい者への配慮をいささか欠いたストーリー。全く中途半端な親子関係修復のエピソード(あれで修復できたの?)、そして寝取られたプロデューサーの元妻との関係など、どれを取っても中途半端としか言いようがない。
この映画を撮ったときW.アレンは、本当にどこか悪かったのではないかと、まじで心配してしまった。
いやいや、本当は別のテイクがちゃんとあって、もっと面白い作品がどこかに隠されているのではないかと疑ってしまいますね...。

おしまい。