もし、あなたなら〜6つの視線

割と素顔の韓国が見えてくる



  

最終日の最終回。でも、この映画はモーニングショウのみの公開だったから、最終回という表現にはそぐわないかな。
このところ怒涛の勢いで公開される韓国映画。その中でも地味な作品。6話からなるオムニバス。監督は名が売れている人もいるけれど、出演者は地味で、いわゆる韓流スタアは出ていない。だからか、お客さんもかなり少なかった。
ボク自身「コーヒー&シガレット」で短編集に懲りているので、これは大丈夫なのか、ちびっと心配していた。

日本人と韓国人では随分表現方法も違うし、デリカシーも違う。
この映画を観ていても、それを強烈に意識させられる。

その中でも、強烈に印象に残っているのが、ちょっと(?)太目の女子高生が主人公の作品。新学期が始まってしばらくして、教室で体重の検査がある。体重計の目盛りを男の先生が読み上げ、前回の数字と比べて論評を加える。それも大声で。
この映画は人権委員会が製作を依頼した作品なので、ここで描かれているのは「こんなことをしたら駄目です」という逆説的な意味なのだろうけれど、韓国でならこういうこともあるかもしれないと、ボクは割りとストレートに受け止めてしまった。
韓国という国に常日頃、映画で接していると、国民の多くが美男美女でスリムな体形だと思い込んでしまうのかもしれないけれど、もちろん実際はそうではない。それは日本と同じで、不細工な人もいるし、太った人も少なくはない。そんな多くの人が、皆さん不幸せになっているかと言うと、もちろんそうではない。だけど、多くの人がこの作品の中で描かれているような目に逢ったのことがあるであろうことは、想像に難くない(まっ、それは日本ででも同じようなことだろうけれど)。

子供時分におねしょを繰り返すと「近所の人に塩を貰わなければならない」。これも新鮮な感覚だった。子供が入れ物を片手に各家庭を回る。その子供は「おねしょをしました」とは言わずに「塩を下さい」と言うのだけど、近所の人は皆わかっている、この子がおねしょが治らないのだと。ストーリーの本題とは少し離れて、この意味がちょっとおかしかった。

脳性まひで身体が不自由な青年が松葉杖をついてソウルの交通量が多い交差点「光華門」を横切ろうとする。ここは巨大な交差点で、片側だけで10車線ほどある(もう少し少なかったかな?)。横断歩道はなく、歩行者はここを横断できず、地下道を通ることになる。そこを松葉杖で渡ろうとする。その思いはわからないでもない。彼にとっては一つの挑戦だったはず。でも、片側を渡らないうちに交通警官によって「保護」されてしまう。それはこの挑戦が危険と判断されたからだろう。なんだか悲しかった。

その他、子供の手術、駐車場の女性をめぐるエピソード、ネパール人のエピソードと時間の長短はありますが、いずれも興味深いお話しが展開されています。

大雑把なテーマだけ与えて、一流の監督を使っての連作。とっても新鮮だった。
別に道徳的な意味で崇高である必要はなく、観ていて楽しいかどうかは別にして「いろいろな解釈があるのだな」と思ういながら観るのはそれなりに面白かった。
もう大阪での上映は終わっていますが、チャンスがあれば時間を割いていただいてもいいのではないでしょうか。そう思いました。

おしまい。