タッチ・オブ・スパイス

人生はスパイス次第?



  

この映画は観逃したと観念していた。しまったなぁ、ギリシャやトルコの作品をそうそう拝見できない。数少ないチャンスを逃したと諦めていた。
そうしたら「ぴあ」誌上では上映画終了していることになっていたけれど、ガーデンシネマのweb-siteを別件で見ていたら、モーニングで延長上映されているではないか! ありがとうございます!

お話しの流れは良くある回想もの。ただし、回想と現実が最後になって交わり、そして切ない(ある意味現実的な?)エンディングを迎える。スパイスはスパイスとして効かせて、メインは恋愛ものだったのね。そんなことはツユとも知らず、少年の追憶もので、生まれ育った土地への郷愁を誘うお話しだと思っていました。

主人公ファニスはギリシャの大学で天文学を教えている。そんな彼に天文学への興味の扉を開いてくれたのが、トルコに住むおじいちゃん。ファニスはトルコのイスタンブールで生まれ育ったが、当時の国際状況がそのまま彼がトルコで暮らすことを許さなかった。ギリシャ人の父とトルコ人の母と一緒にイスタンブールを離れアテネへ引っ越してきた。
だが、ファニスの心はいつも香辛料を扱う個人商店を営んでいたおじいちゃんのお店の二階にある埃っぽい倉庫。この倉庫でどれだけの時間を過ごし、幼馴染の女の子サイメと遊んだことか...。
イスタンブールを去る日。汽車のプラットフォームにはサイメの一家とおじいちゃんが見送りに来てくれていた...(イスタンブールとアテネは陸路で結ばれているなんて、知らなかった...)。
それ以来、ファニスは片時もおじいちゃんのこともサイメのことも忘れたことはなかったんだけど、絵葉書につけた香辛料の香りが、やがては薄れていくようにサイメのことも忘れてしまう...。

政情が安定し、ギリシャとトルコの行き来も自由に出来るようになったのに、おじいちゃんは一度もアテネにファニスの顔を見に来てくれはしなかった。
今度も「来る」と言いながら、予約した飛行機には乗っていなかった。待ちくたびれたその日、おじいちゃんの友達からぼそっとささやかれる「どうして、お前が行かないのだ」と。
そうだ、おじいちゃんが会いに来ないのであれば、自分が出かければいいのだ。学校も休暇に入っている。ファニスはイスタンブールに飛ぶ。

しかし、人生においても、恋にしても、大切なのはスパイスなんだなぁ。その使い方が正しければ絶妙のハーモニーを奏で、誤れば全てを台無しにしてしまう。スパイスが足りなかったと言って、出来上がった料理にいまさら足りないスパイスを振りかけたところで、もうそれはどうしようもない。そういうこと。

大人になったファニスとサイメ。 サイメが大人だったのに、なんだかボクは救われたような気がしました。

あんまり期待せずにご覧ください。そうすると、じわじわっとあなたの心の中にもスパイスが効いてくるかもしれませんよ。

おしまい。