やさしい嘘

気持ちが痛い



  

千里中央にあるセルシーシアターは、近そうで遠い映画館。今では珍しい存在になった二番館的なテーストを持っている。それも、拡大系の大作(?)から、ミニシアター系の佳作まで幅広く上映してくれる。ぴあを買ってたら必ずチェックを入れる映画館の一つ。でも、心理的に遠いのはどうしてだろう? 京都のみなみ会館に比べると、距離的にも時間的にもウンと近いのに...。

この日(と言っても、もう随分と前になっちゃいけど)拝見してきたのは「やさしい嘘」。 昨年の11月ごろにひっそりとOSで公開されて、観逃す。その後、京都や大阪そして滋賀で上映されていたものの、ことごとくチャンスを逃していると、期待していなかったのに千里で上映してくれる。ありがとうございます!

ちょっと複雑な気持ちになる、淋しいお話しなのだ。 人間はバカだから、ついつい現状に満足せずに不満を持ってしまい、先人が苦労して手に入れたものに対しては感謝もせず「当然のもの」として受け入れてしまっている。 日本はまだまだ駄目な国。だけど日本は、ある意味まだマシなんだな。そんなことを改めて知らされる。

このおばあちゃんの気持ちが痛いほど伝わる。そして、彼女を見守る、娘と孫娘の気持ちも痛い。それも強烈に。 パリへ行くとはどういうことなのか。観光だけにしろ、フランスへのビザ(査証)を手に入れるにはどれだけ大変なのか。ましてや、パリまでの往復航空券を買うのには一体幾らお金がかかったのやら(蔵書がなくなるはずだ!)。

この映画の凄いところは、一方通行なところ。息子のオタールはただの一度も出てこない。出てくるのは写真だけ。この姿を現さないオタールを巡って、おばあちゃんと娘(母親)、そして孫娘の三世代の生活が描かれる。 幾つになっても、母親にとって息子は息子で、子供なんだ。そして、いつまでも心配のタネ。 そんないつまでも弟を気にかける母の姿を見る娘の気持ちに、そんな祖母にフランス語を仕込まれている孫娘。 そして、旧ソ連のグルジアという国で生きていく窮屈さ。

窮屈そうに見えても、果樹園がある別荘もある、生活の感覚が日本とは随分違うんだな。そんなこともふと感じる。しかし、別荘はあっても、生活していくお金がなく、売れるものは蚤の市で売ってしまう。 フランス語の通訳をしても、そこから得られる現金収入は悲しいほどわずか。物はそこそこあっても、現金は貴重品なんだなぁ。 時として停電になり、断水してしまう。インフラはあるけれど、上手く機能していない。 医者の息子はパリに出稼ぎに行ったまま帰ってこない。医者であることはすなわちエリートなのだと思うけれど、この国ではそうではないのか。しかも、この家ではフランス語が飛び交う、一種の知識階級に属しているはずなのに...。 日本の物差しだけでは測れない価値観がグルジアにはある。

やさしい嘘とは何なのか。嘘にはいろんな種類があり、悪意のある嘘もあるし、そうではなく、思いやりから発せられる嘘もあるのか。

結局、孫娘のアダが選んだ自分の人生とは...。

いろいろと考えさせられるお話しです。決して「面白い」お話しではないけれど、じんわりと心に染み入る一本です。おすすめ。 きっとまだ上映されるチャンスもあるでしょう。それに、ビデオやDVDでも充分お楽しみいただける作品だと思います。

おしまい。