エターナル・サンシャイン

結局、同じ事(恋)を繰り返してしまう



  

もう随分前のこと。 朝の8時過ぎ、阪急の梅田駅からJR大阪駅へ向かう渡り廊下を歩いていると、飛騨高山行きのディーゼル急行が発車する場面に出くわす(今は、ダイヤ改正で特急になってしまっている)。ディーゼルエンジンが唸りを上げ発車する姿を横目で見ながら、いつの朝か「何もかも放り出してこの急行に乗り込みたい」そんなことを思っていた。今となっては、その列車も廃止されてしまったのが、悲しいけどね。

もし、嫌な記憶だけ抹消できて、もう一度やり直せるなら、それは果たして素晴らしいことなのか。それとも、結局は再び同じことを繰り返してしまうだけのことなのか?
これって、個々人の人間性がとってもよく出ることなんじゃないかな。

失恋で心に負った痛手を癒すために、その相手にまつわる記憶を全て消し去ることが出来たら、あなたならどうする? 失恋した(あるいは振られた)直後なら、ボクもそんな手術を受けてみたいと思うかもしれない。でも、今までの経験から、失恋の痛みは、結局は時だけが解決してくれる、そのことをもう知っているから、今のボクなら、もう手術を受けることは無いだろうな。それに、心配しなくても、もう恋をすることも無い。
でも、この映画の主人公達は若い。そんなに若くもないかもしれないけれど、充分恋をする適齢期の範疇に入っている。

その記憶の除去をするための施術。怪しげな雰囲気なのがいい。本当にこんな簡単(?)なことで、ヒトの記憶を消去することが出来るのか? でも、そんな難しいことをあれこれ考える必要は無い。

この映画は、結局、人間というものは変わらないということが伝えたかったんだろうな。
記憶は大事なものだ。記憶と思い出は言葉が違うだけで、本当は一緒のもの。恋をして心を痛め悩んだからこそ「もう恋はしない」であったり、「こんなタイプの人とは上手くいかない」とわかる。でも、その痛い記憶を消してしまったら、自分の中に経験則が存在しないから、自分の本能(?)がおもむくままに、また同じ恋を繰り返してしまう。そう、人間は変わらない、変われないものなんだなぁ。
成長していく過程において、記憶や経験はとっても大事なもので、それを人為的に手放すことは「後退する」ことなんだ。

同じ言葉を語りかけられたり、お気に入りのものをプレゼントされても、全く同じ反応が心の中で起こるものでもない。それは、違う。ある特定の人から聞かされたり、貰ったりするから、ついつい過剰な反応をしてしまうんだな。

結局、別れた片方(この映画では女性ね)が、この手の手術を受ける。残されたもう片方にとって、ある意味これはチャンスだ。自分には経験がある。そして、一旦ご破算になった恋をもう一度ゼロからやり直せるんだから(同じ失敗を繰り返さないのならね)。
この映画の上手なところは、もう一組のカップルをさりげなく登場させていることでしょう。このカップルも結局は同じことを繰り返してしまう。記憶を消し去ること、それはヒトにとって、なんら解決にはなり得ないんですね。

主演の二人はさておき、ボクにとって興味深かったのは、「ロード・オブ・ザ・リング」のフロドを演じたイライジャ・ウッドが、冴えない役で出演していること。彼は今後ちょっと苦しみそうですよね。でも、どんな風に変わっていくのかは楽しみでもあります。そしてもう一方は、ボクにとっては「チアーズ」での印象が深く、「スパイダーマン」ですっかり株を下げてしまったキルスティン・ダンスト。今回は、まだ見られる役であり演技。よっしゃ「ウィンブルドン」も観てみようかな、そんな気になりました。

もうすっかり上映は終了しています。このお話しは、スクリーンでなくてもビデオやDVDでも充分お楽しみいただけると思います。まずまずのオススメだと思いますよ。

もしボクに次回のチャンスがやって来るなら、真冬の夜。凍りついた湖の氷の上に寝転がって星空を見上げながら恋を語りたいな。

おしまい。