故郷(ふるさと)の香り 

黒い革靴の哀しさは...



  

時の流れとは如何に残酷なものなのか。そんな当たり前のことを改めて教えてくれる。
ボクの好きなフレーズに「振り返る過去は美しい」があるのだけど、それはなるべく苦い過去は思い出さないようにしているからなのだろうか、それとも現在の自分は過去から隔絶された安全地帯にいて過去を振り返るからなのだろうか。
思い出すはずがなかった(思い出したくなかった?)過去を何かの拍子で思い出してしまうことは確かに良くある。でも、その思い出の場所で、思い出の本人を目の前にして、そして残酷な時の流れを感じながら。
これはある意味「最悪」。

それでもこの映画の主人公ジンハー(井河・グオシャオドン)は、なんとも優しい男だ。声を掛け、そしてヌァン(暖・リージア)の家に遊びに行く。ボクならとてもそんなことは出来ない。それにそんな思い出のきっかけになるかもしれない場所へは近付きたくもない(と思う)。それこそ「君子危うきに近寄らず」を地でいく(ハズだ)。

大学へ進学するために故郷の村を出た男が10年ぶりに帰ってきた。家族はすでに街へ移り住みこの村にはいない。今回は恩師に頼まれてやって来た。今では北京で役人をしている。
用事を済ませ、恩師と村へ向かうその道すがら、橋の上でジンハーは女とすれ違う。やりすごす男は女の顔を見て声を上げそうになる。不自由な足を引きずり、背負子に草(桑の葉?)を一杯載せている彼女こそ...。

一気に蘇る。10数年前、この村で過ごしていた日々。
ジンハーは同級生のヌァンに夢中だった。幼馴染でいつも一緒にいた。高校生になった今でもそう。
10数年前、どんなことが二人の間にあったのか、走馬灯のように思い出す。
それはジンハーにとって、もう充分納得して、整理して、厳重に封印したはずの思い出だった。しかし、思いがけず本人を前にして、一瞬にしてその鍵は開かれ、胸中に思い出があふれ、駆け巡る。

思えば、この映画は男性的で感傷的なのではないか。
甘い思い出も、辛い記憶も、いつまでも引きずってしまう。それも、かなり自分の中で美化して。そして、もうどうしようもないことなのに、諦めきれずに、何か出来ることはないだろうかとあれこれ悩んでしまう。
現実はそんなものではないだろう。もうどうしようもない。実際はもう何の手も打てない。結論は、二人が再び会う前から出ていて、それは覆らない。
ジンハーの心の葛藤は、ヌァンにとっては、もうどうしようもない一生癒えることがない心の傷跡に、いまさら塩を塗ることに過ぎない。
期待したら傷つくのは自分だ。もうこれ以上傷つきたくない。期待してもどうしようもない。
そんなことは、ジンハーにもわかっている。だけど...。だから、この映画は男性的なのだ。あくまでも男性の視線で語られ、作られている。
そう、やはり「振り返る過去は美しい」のだ。それが如何につらいものであったとしても。

映像は全て美しい。息を飲むほどの美しさ。
山があり谷がある。田んぼが広がり、水がある。人がいて、村があり、そして生活がある。
生活とは何か。日々を楽しく過ごすことを「良し」とするのか。それとも理想を追いかけることなのか。そんな根源的なことすら考える。「知る」こと全てを知ることが、必ずしも幸せとは限らない。中には「知らない」ことこそが幸せなのかも知れない。
仙人のように、隠遁し何も知らずに、日々を送る、それも幸せな生き方なんだろうな。だけど、悩みが、苦しみがあることこそが人間なのかもしれない。

何故か香川照之が出ている。台詞は無い。ところが、まるで違和感がない。驚くばかり。
「鬼が来た!」 の時とは比較にならないほど素晴らしい!

ひょっとしたら、ロングで掛かっているからまだテアトルで時間を移して上映しているかもしれません。テアトルでは終わっているかもしれませんが、必ずどこかで上映されるチャンスはあるでしょう。
ちょっと感傷的だけど、まずまずのオススメです。お話しもそうだけど、美しい風景の映像はご覧になる価値があると思います。

おしまい。