運命を分けたザイル

サイモンとジョーに乾杯!



  

年に何度かは山を歩く。
ボクが歩くのは、山と言っても何千メートルもあるものではなく、高くても2,000メートルまで、たいていは1,000メートルあるかないかのコースを数時間から半日歩くだけ。従って、大層な装備ではなく、ザックに水とお弁当を入れていくだけ。季節によっては軽アイゼンを携行することもあるけれど、それも簡単なもの。
それでも、今までに何度か、死ぬかと思った経験はあるし、自分の判断の甘さからピンチに陥ったこともある。数時間のコースだからと言って山を舐めると痛いしっぺ返しに会う。ボクもいつかは取り返しのつかない目に遭うのではないかと、内心ビクビクしている(その割りには、謙虚さや慎重さが無いのは相変わらずだけど...)。
このお正月、暇つぶしに自宅の本棚から抜き出したのが「山頂に立つ―登山家たちのサバイバル」(扶桑社セレクト文庫 ¥790 ISBN-4594042570 2003/11) 。少し前に買って手を付けていなかった。幾つかの手記をオムニバスで連ねているのだが、そのどれもが読み応えがあり、読み始めたら止まらない。
この本に描かれているような経験をしたいような気もするし、やっぱり1,000メートルほどの低山をうろうろするのが一番だとも思う。

で、今回拝見したのが「運命を分けたザイル」。予告編を見るだけで背筋が凍りつきそうなお話し。
京都のみなみ会館で続けて観る。事前の予想では「靴に恋して」よりもこちらの方がお客さんが多いだろうと思っていたのだけど、実際は全くの逆で両手で余るほど。そんなものなのかな。
物語りがいかに劇的であろうがなかろうが、リアルすぎるだけに、山に興味が無い人にはちょっとしんどかったのかもしれない。恋や愛というドラマ的な部分は当然ながら一切無いし、あるのは生きるか死ぬかの、極限での人間模様だけ。それもある意味泥臭く描かれている。それに、かっこいいとか有名とかいう俳優さんが出ているわけでもない。ちょっと惜しい。
それに、なんとこの映画にはたったの3人しか出てこない。それどころか、おっさんだけ。女性は一切出てこないのだ!

作り方はいたってオーソドックス。
実際に経験した3人が出てきて、再現フィルムを解説する。
ん?
だから、1985年の6月、ジョーとサイモンの二人の英国人クライマーが南米アンデス山脈のシウラ・グランデ峰で遭遇したこのアクシデントは、無事かどうかはわからないけれど、生還できたことだけは確かなんだ。そのことを事前に言外に明らかにする。これは作り手にとって、とっても勇気がいることだと思う。
ある意味、観客の興味は半減してしまう。だけど、ボクのような小心者にとっては、おかげさまで安心して観ることが出来た。

無鉄砲な登山家が、まだ誰も成功したことが無い西壁からの登頂を試みる。いや、無鉄砲という表現は適切ではないかもしれない。素晴らしい技術と充分な装備、そして大切なのはお互いを信頼しあえるパートナーシップで結ばれたコンビでアタックしたことだろう。
それなりの苦労はしたものの、二人は西壁を征服し、帰路につく。
登山事故のほとんどは下山途中に起こるものだそうだ。登るときは、エイヤァって感じで、とにかくよじ登ってしまうものだけど、降りるときの方が恐怖も増すし、身柄の確保も難しい、それに技術も必要とされる。そうそう、ボクも下りはあんまり好きじゃない。特に気も緩んでいるしね、しょうむない事故もこんな時に起こしてしまうもの。

二人が下山途中にビバークをしようとして、有り得ないような事故を起こしてしまう。
年長のジョーが雪庇(せっぴ)を踏み抜き、斜面を滑落する。片足のすねの部分を骨折してしまう。これは致命傷だ。脚を折るとは、もう歩けないことを意味する。もう歩けないといことは、この雪に囲まれた岩壁の窪みでそのまま死を迎えることを意味する。
サイモンは悩む。もし、二人とも無傷であったとしても無事に下山できるかどうかかなり怪しい状態だ。そんな中、自力で歩くことが出来ないジョーという荷物を抱えてしまったら、自分自身の生命も危ない。
「助けを呼びに行く」という名目のもと、この場にジョーを置き去りにして見殺しにするのか(助けを呼びに行く間に、動けない彼が死んでしまうのは明らかだ)。それとも、ジョーを抱えたまま共倒れしてしまうのか...。
ジョーは自分自身の運命を呪いながらも、その運命を受け入れる心の準備は出来ていた。ここで自分を置いてサイモンが一人で下山するのも当然だと考えていた。
しかし、サイモンが取った行動は違う。ザイルで自分とジョーを結び、動けないジョーを雪の斜面から滑り降ろし、ザイルが伸びきったところで自分も降りていこうと考えた。そして行動に移す。この作戦は順調に成功したかに見えたが...。
更なるアクシデントが二人を襲う。

極限の状況に置かれたときに、人間がどんな行動を取るのか。
それは興味深い。

そして、人間はあきらめてはいけない。運命を甘受することはとても簡単なことだ。だけど、生へのあくなき欲求は、人間が生きていく上でとっても大切なことなのだと教えてくれる。

最後、不覚にも涙が溢れそうになった。
そして、今夜もこのサイモンとジョーに乾杯だ!

おしまい。