Ray/レイ 

人生は波乱万丈



  

人生とは、その波の大きさに大小の差こそあれ、誰にとっても波乱万丈なものだ。ましてや、芸術家の人生なんて、それこそ台風が接近中の大海原に笹の葉でこさえた小船で乗り出してゆくようなものか...。
だから、伝記的なものを題材にした映画は多い。印象に残っているのは「フリーダ」。メキシコの女性画家の半生記でした。
そして、今回紹介する「Ray/レイ」。主演のジェイミー・フォックスがアカデミー賞の主演男優賞を貰ったこととは一切関係なく、見所が多い作品であることは間違いありません。はい。
ボクがこの映画を拝見したのは、まだアカデミー賞が発表される前のこと。
午前中に脳ドックへ行った帰り道。平日の昼下がりで、会場がシネフェスタであることを考えると、きっといつものようにスカスカの入りだと思っていた(ごめんなさい)。ところが、日頃はあまり映画館でお見かけしないような年配の男性を中心に50名ほどの入り。
レイ・チャールズってこんなに人気があったの? 知らなかった。

才能は等しく分配されているわけではなく、特定の人に分厚くなっている。でも、それは才能という磨けば光る素の話しで、才能がある人が全て花開くとは限らないところに難しさがある。自分の才能を信じて努力した人、運を掴んだごく一部の人だけが、その才能を生かして脚光を浴びるわけだ。

生まれつき闇の世界に住んでいたのではなく、幼少時代に徐々に視力を失っていく、これって拷問に等しい。子供だけになおさらだ。
そして、その過程で音楽に出会う。ピアノでたった3音を教えてもらっただけで自分の才能に気付き、磨いていく、音楽の世界で、そして盲人として努力を重ねていく。
それどころか、弟を見殺しにしてしまったというトラウマにさいなまれてもいる。
だけど、映画ではレイの努力の部分は、実にさらっとしか描かず、その後に重点が置かれている。美しく描こうと思えば、いくらでも美談だけで飾れたはずなのに、映画では美談よりもレイの人間的に弱い部分や、醜い部分にさえ時間を割いている。それなのに嫌味とは映らないから不思議。

レイの人懐っこい笑顔とは裏腹に、人間は嫌な部分もたくさん持っている。
いくら面倒を見ると言ったところで、夜更けにステージが終わり、さぁこれからお楽しみというときに「子守り」は誰だってゴメンだ。何十ドルもの支払いに1ドル札を延々と数えるのも勘弁して欲しい。そうする人間が卑しいとか優しさがないのではなく、ある意味当たり前のことなのかもしれない。
きっとこの映画に描ききれない部分で、もっともっと騙されたり嫌な目にあったりしてきたんだろうな。
だけど、ある意味レイは純粋だ。誰を信じたらいいのかちゃんと知っていたし、仕事に関しては厳しい一面も持っている。レコード会社しかり、古くからのマネージャーしかり...。

だけど、女に関してはからっきしだらしない。
手首を握って、その女性の美しさを見極める。これって凄い! 窓の外を飛ぶハチドリの羽音で口説けるのもさすが。
「家庭を大事にする」それがレイの人生の命題だったのに、ツアーに出るとそんなこと覚えてはいない。その潔さ(?)も、観ているボクとしては認めてしまう。
そう、この映画はレイが、母親も含めていかに多くの女性によって支えられてきたのかを証明しているのかもしれない。
そして、クスリ。素晴らしいパフォーマンスを得るためにクスリはどうしても必要なものなのか?

ボクが偉大な才能の一部に触れるのは、完成された作品に触れることでしか出来ない。レイだとラジオやCDから流れてくる彼の音楽を耳にすることだけだ。しかし、その作品の裏に隠されている、努力や苦悩や葛藤、そして運やサクセスストーリーについては知ることもない。
レイが素晴らしい人なのかどうなのかはこの際ほとんど関係ない。だけど、彼の人生にはこんなことがあったんだと知ることは素晴らしいことだと思う。

人間の弱さ強さ、そして運にアイデア、そして溢れる才能にひらめき。
誰にでも人生は波乱万丈なのだから。

おしまい。