コウノトリの歌

南北分断はお隣だけではなかった


  

この「コウノトリの歌」も映画館での上映は観逃してしまっていた。どうもナナゲイでの上映は時間割の相性がボクと良くなく、ついつい観逃してしまうことが多いような気がするな。
「にしのみやアジア映画祭」。何年か前にもこの催しで映画を拝見しています(韓国映画の「祝祭」)。割と渋目というか地味目の作品を上映してくれます。日頃お邪魔している映画館ではお目にかからないような方が集まっている。料金も安目だし、地元の人にはいい機会です。渋くて地味だけど、一定以上の評価を受けている作品群だしね。

コウノトリは自分の巣を忘れないらしい。そして、一度作った巣に必ず戻ってくるのだそうだ。

今まで、ベトナム戦争を取り上げた映画は何本も作られている。ボクも何本も観ている。
でも、考えてみたらそのいずれも例外なく、アメリカサイドの視点に立って撮られている。従って、それらの映画で描かれる北ベトナムの兵士たちは、感情も無く、ほとんど素手のような粗末な装備でウンカのごとく湧き出て来て、機関銃や火炎放射器でなぎ倒されたり、知性の無いサルのように扱われている(と思う)。
もちろんそんなことはない。北ベトナム軍の兵士にだって、恋人がいて、愛する妻や家族があり、そして故郷や家庭がある。そんな当たり前のことがどうして今まで描かれてこなかったのだろう。
ベトナム戦争が集結して30年ほど経過した今、ようやくそのことが語られる。ベトナム戦争を闘ったのはアメリカ軍だけではなく、ベトナムの人民なんだと。

物語りは大きく分けて二つに分けられる。一つはハノイの大学で学ぶ学生が志願して北軍に入隊し、訓練を受け戦場に出て行く姿を描いたもの、もう一つは、ベトコンの特務将校が身分を偽ってサイゴン(今のホーチミン)に潜入し、南軍の高級将校の娘と結婚しスパイ活動に従事する姿。
北軍の戦士はもちろん人間だ。ハノイに残した妻や生まれてから一度も合っていない娘が恋しくない訳がない。さらに、分断されたいた国家は韓半島にだけあったのではない。同じ民族が血で血を洗う悲劇を味わったのはベトナムでも同じこと。

いわゆる戦争映画ではない、それにナショナリズムの高揚や共産主義の偉大さを強調したお話しでもない。
トーンは抑制され、静かなまなざしでベトナム戦争を振り返っている。ベースにはもちろん、愚かな戦争という行為を繰り返してはならないという教訓めいたものがあるのは確か。でも、それは表面立っているわけではない。注意深く観てこそのの内容になっている。
正直に言って、その抑制されたがゆえに、ちょっとどっちもつかずになっている。ストレートに訴えかけてくるものがない。これでは商業的には苦しいでしょうね。だけど、その分、心に染み入る何かがあるのも事実です。
映画として観たときに、ドキュメンタリーなのか、それともフィクションのドラマなのか。そこの区別が判然としないのもちょと。その分、映画に入り込めない部分もあります。
でもね、だからと言ってこの映画が駄目な映画かと言うと、決してそんなことはありません。
同じような視線で、残された女たちの物語りを描けば、もっと共感を呼ぶドラマが可能なのかな。そんな気がします。
ホーチミンルートを南下行軍する北軍の部隊を案内する若い女性のエピソード。さらっと描かれていましたが、ズキっと胸に突き刺さりました。

サイゴンに潜入する若きベトコンの将校が、若き日のジャッキーチュンに見えて仕方なかったのはボクだけでしょうか?

おそらく、各地の映画祭などで上映されるチャンスがあると思います。わざわざこの映画だけを観るだけの意味があるかどうかはわからないけれど、ご覧になって損はないと思います。

おしまい。